2016年9月25日日曜日

魂の絆   Bonds of the soul













 


 

母はその頃、

「二階を塾に貸したのかい? 子どもたちが大勢走り回っているけれど、屋根を走るのはやめてほしいねえ。近所のひとが集まって、大さわぎになったから」

こう、繰り返し訴えておりました。

「ひどく殴られていたねえ・・・あんたが泣き叫ぶのを聞いたよ」

 A町の借家で、いるはずもない男性に、わたしではない女性が殴られた?

「へえ、そう? ふうん」

否定も肯定もせず聞き流しながら、睡眠不足のわたしは、だんだんやけになっていきます。

昼夜逆転の症状(二七ページ参照)があまりにもひどかったため、非常手段のつもりで「土地の浄化」を試してみようと思い立ちます。

「ふたりがこの家を乗っ取る相談を聞いた!」

母の幻聴は、霊現象かもしれないと仮定して考えたのです。

 

方法はこうです。各部屋をめぐりながら、「祓いたまえ。清めたまえ」と、塩水につけた榊を振るのです。

階段で榊を振ったとき、

「ありがとう」という女の子のかわいい声が、わたしの心に届きました。

「はい」

 と応じて、はっと気づきます。あら。今の女の子はだれ?

 土地の浄化を行うと、母の幻聴がしばらく止むことがわかりました。そこで、転居の度に土地の浄化をくり返すことになります。

 


 

「魂は振動している」という話を聞いたことがあります。

肉体も振動しており、たましいに比べると、振動はゆっくりなのだそうです。

母の介護に疲れたわたしは秘術を考案し、奥の手として「魂の共振」を使いました。そうすると、母の不安や寂しさ、味方になってほしいという心が、不思議と落ち着くのです。けがをくり返すことがなくなり、BPSD(周辺症状)が改善されて、認知症の母が、わたしの気持ちに寄り添う言動をとるのです。それは、妄想が始まった五〇代から、母にはなかなかできなかったことでした。

 

わたしが子どもの頃から、母には妄想がありました。お墓参りのたびに、

「墓地のじざかいが、けずられていく。ここにあったのに、もう、こんなにけずられてしまった」

 こうなげくのです。境には植木もあり、子どもの目にも、異変は見られません。わたしはただただ不思議に思いました。

「お風呂をのぞかれ、写真を撮られている」

と、窓にガムテープを厳重に張り、

「窓の外で話を立ち聞きしている」

こう、苦悩を打ち明ける母。高校生の時には、わたしは聞き役で、なだめる立場にありました。

「お父さんがわたしを追い出して、新しい妻を持とうとしている。家も財産も取られてしまう。居間で相談しているのを、わたしは台所で聞いた」

それが母の「嫉妬妄想」であるということも知らず、

(お父さんはひどい。お母さんを追い出そうとしている)

純朴なわたしは、ひそかに男性不信をつのらせます。

友人の家庭で温かさに触れてみると、最高だと思っていた自分の家族は、なんと無残なのだろうと理解できるようになりました。

大人になってからは、

(お母さんはきらい。親子じゃなかったら、絶対につきあっていない)

とまで思っていたのです。

そんな家族でしたから、母がグループホームに入所したことも、ひとつてに知らされて驚き、あわててあちこち問い合わせます。ところが、

「個人情報ですから、入所先は娘さんにお答えできません」

と、行政も担当ケアマネも警察もそう答えるのでした。これに逆上し、まるで手負いの母熊のように次々とみんなを怒らせ、なんとか母を引き取ることになったとき、

(ああうれしい。やすこさんがくる)

こう喜んでいる自分に気がつきました。

(あれ? あんなにきらいだったのに・・・)

大きらいという気持ちも、確かにまだあるのです。これに「両面感情」という名前があることは、認知症の学びを深めていく過程であきらかになっていきます。

 

母を引き取ってから、わたしは、オカリナで曲を作り、詞をつけて歌うようになりました。

なにかに導かれるように、輪廻転生や、ヒーリングの本をむさぼるように読みました。

はるか縄文を想いながら、祝詞(のりと)を歌い、オリジナルの衣装を作り、神の依代(よりしろ)として、舞いを奉じるようになりました。

「わしらは禰宜さまの血筋だ」

 本家から、こう聞かされたのもこの頃です。

音霊(おとだま)を用いて魂を共振させると、温かいなにかが、母の魂からわたしの心に流れ込みます。

お互いに頑固者ですから、言葉によるコミュニケーションには限界がありました。何も言わなくても母が安定し、症状が改善される。お互いのつながりが深まってゆくことは、なんとも不思議なことです。

 


 

目をつむり、腰をおろし、ゆったりとした姿勢をとります。

やさしい風、心地よい陽ざし。

大好きな樹木や、花の香り。

愛するひとが、あなたの前にいるのがわかります。

その方は、すでに亡くなってしまったかもしれません。

遠くにいて、なかなか会えない。

もしかしたら、未来のパートナーか、お孫さんかもしれません。

両手を広げて、愛するその方を抱きしめましょう。

言葉はいりません。

自分が風になったように、あるいは大地であるかのように、ただあるがままに抱きしめます。

 

音霊(おとだま)、または言霊(ことだま)を使います。

オカリナ、ハーモニカ、篠笛、太鼓、尺八、ピアノなどの楽器。

かしわ手、風鈴、おりん、数珠。

祝詞、お経、真言、異言(自分には意味の分からない言葉)、宇宙語。

なんでも結構です。

 

なにも考えず、なんの思いも込めず、ただ柔らかく、心にその方を抱きながら、しばらくの時を過ごします。三〇秒、あるいは二〇分でも結構です。おそらく、二秒でもいいでしょう。たましいに、地球上の時間は関係ありません。

 

気が向いたとき、不定期に行ってもいいでしょう。できれば、その後の経過を観察しましょう。


 

 





Tsumuri eyes, sat down, it takes a relaxed posture.
Gentle breeze, pleasant sunshine.

I love trees and, the fragrance of flowers.

People love is, you can see that in front of you.

As a person, you might have already passed away.

And it is in the far, not meet easily.

Maybe, if the future of the partners, might grandchildren.

With open arms, let's hug that person to love.

Words are not needed.

As it became the wind, or as if it is a ground, just there you hug to leave but.

 

Sound spirit (Otodama), or use the Kotodama (Kotodama).

Ocarina, harmonica, shinobue, drums, bamboo flute, musical instruments such as piano.

Kashiwa hand, wind chimes, Orin, rosary.

Chant, sutra, Shingon, tongues (words that are in their own do not know the meaning), the universe language.

Anything is fine.

 

Anything without thinking, what thoughts even without rice, just soft, while embracing its people in mind, you take time out to for a while. Thirty seconds, or even twenty minutes is fine. Perhaps, you might want even two seconds. In spirit, there is no relationship between time on the earth.

 

When the mind is directed, it would be good to go on an irregular basis. If possible, let's observe the subsequent course.