Wonder care









 
結果をもたらすコミュニケーションスキル




人と人が暮らす社会では、コミュニケーションが大切です。
コミュニケーションがうまくいくとお互いに生き生き暮らせますし、
うまくいかないと気持ちが落ち込んでしまいます。
病気などで辛いときはどんなに励まされても、
かえって生きる意欲を失くしてしまうことがあります。


両親、パートナー、子どもたち。
上司や同僚、部下、
ご近所、お友だち、ご親戚。
大切な方とのコミュニケーションがうまくいかない。
そんなときは本当につらいものです。


私は8年間、認知症の母を介護しました。
「意思疎通困難」と言われる症状があり、
コミュニケーションにはたいへん苦労したものです。
しかし母は、右半身まひを1か月で克服し、
昼夜逆転や妄想などの激しい症状を克服し、
お茶碗を洗い、
最期まで自分らしいほがらかな生涯を過ごします。


ふり返ってみれば、
結果をもたらしたものは母の意欲でした。


ここで、私が無我夢中でおこなった、
特殊なコミュニケーションスキルについてご報告いたします。








1、コミュニケーションが困難に陥る






みなさんは「認知症」という病気をご存知ですか? 
私が学生のころは、そんな病気があるということを知りませんでした。
認知症は脳のトラブルで、発症にはさまざまな原因があります。
母が患ったのは、「アルツハイマー性認知症」と「脳血管性認知症」です。
以下は、学会誌に掲載されたレポートの抜粋です。


わたしの母は50代で認知症の症状が出ました。
それが病気と知らないまま、受診することなく在宅で過ごします。
季節保育所で保母をつとめ、地域の婦人会で活動するなど活発に暮らしました。
子どもたちが家を離れ、老夫婦2人暮らしに。
町の駐在から「ああ、あのおばあちゃんね」と言われるような、
わけのわからない通報をしていたようです。


80代で夫と死別。
長男夫婦に引き取られ、うまくいかずグループホームに。
半年後面会が実現、我が家で在宅介護開始。
84歳で右半身まひ発症、当日から自力でトイレに通い、1か月で克服。
回復後は幻聴・妄想も再開し、被害的な覚書がたびたび見つかります。


妄想を言いつのる母に、
「古い脳梗塞の跡がみつかったの。
認知症なの。盗まれたのではなく、妄想だったの」
わたしは悩みながらこの言葉をぶつけてしまいます。
没後、遺稿に「今日よりは半馬かとなる我が運命」の句。
晩年、家族関係も自ら改善。90歳で亡くなるまで、自分でお茶碗を洗い、
周囲を笑わせるほがらかな暮らしを生きました。






心身の病状、無関心、自尊心の低さ。
怒りやあせりのような行き場のない感情。
つたないコミュニケーションスキル。
困難に陥る原因を立体的にとらえます。












2、意欲があれば人生は生き生きしたものになる






認知症の進行は、その人によって早く進む方と、
ゆっくり進む方がいらっしゃいます。
母はゆっくり進むタイプだったようですが、82歳の頃が最も重症で、
その後問題行動が回復してまいります。


50代 嫉妬妄想、もの盗られ妄想はじまる
82歳 夫と死別、グループホーム入所
83歳 在宅介護へ
84歳 右半身まひ発症。古い脳梗塞の跡が複数と、

    アルツハイマーが検査で確認される。1か月後に回復
88歳 遺稿となった俳句を詠む。3句のみ「投函して」とわたしに託す
89歳 左右を介助され、階段を歩いて五階層の天守閣へ
90歳 脳梗塞と肺炎を併発し1週間意識不明のまま昇天。





失意に陥ることは誰にでもあります。
そこから意欲を取り戻すために、
どんな方法があるのでしょうか。
そこに方程式はありません。
おひとりおひとり主体的に、
個別にデザインしてまいります。





3、コミュニケーションとは、相手の話をまず聴くこと






84歳で右半身まひを発症した母。
「自分でおトイレに行きたい」
その思いが実現できたことで、奇跡的な回復を遂げて参ります。
「しもの世話を受けるようになったらおわり」という信念は、
生きる意欲を支える重要なカギでした。


「いうんええきう(自分でおトイレに行くことができる)」と言いはる母。
体が不自由になったことを頭で理解していても、感情では受け入れません。
わたしも「無理無理。危ないからやめて」と一切口にせず、
(やってみてできなかったらまた考えよう)とおおらかに考えました。
発症当日、ひとりでトイレに行けるように車いすの操作を教え、
翌日、トイレ内に小さな手すりを取り付けます。
車いすを使わなくなると、床置きの手すりをレンタル、
伝い歩きが安全にできるように支援します。
やがて手すりも不要になりました。


まひ発症当日に排泄が自立し、失敗を繰り返す時間的経過がありませんでした。
「自分でできる」から「もう今までのようにはできない」に
気持ちが移行しなかったのはこのためと考察します。
「できる」という思い込みが裏づけされ、意欲が維持できました。
背もたれがあっても斜めになってしまう状態で車いすを自操、
ドア下の段差はふんばって前輪を浮かせ、ひとりでトイレに行く。
手すりを持って数歩移動し便器に到達。
こうして母は、右半身まひを1か月で克服し周囲を驚かせます。



どんなにとんでもないことでも、うなずいて聴く。
「できない」「だめだ」と否定するのは簡単ですが、
かんじんの、やる気をそいでしまうことも。
前向きに聴いていただくことで、
意欲が引き出されます。
※お話の内容・状況によって対応が変わることがあります。










4、スキンシップが与える安心感と「甘え」






自分で立てない、歩けない母。
月1回、自家用車で通院します。
発症は8月で、病院はお盆休み。
うまく水分が取れずに高熱を出し、診療している病院を探し、
点滴を受けに数回通院しました。
庭や駐車場は、30キロの母をわたしが抱きかかえ、院内は車いすを使用。
「わういええ(わるいねえ)」と身を離すため、
かえってバランスを崩し不安定になります。
そのたびに「しっかりくっついてて! よろけると危ないの!」と叱って
ぎゅっと抱きしめました。
抱きかかえることは、「十分に甘えさせる」ことでした。
自分の体のことで精いっぱいだった母は、闘病中、妄想を口にしません。
回復後に妄想が再開したことで、幻聴、妄想の何割かは
寂しさから起こったと考察しました。





お互いの距離感によっては有効なスキンシップ。
「甘え」が満たされることで生まれる、がんばる気持ち。
安心感は人生の土台です。







5、こちらが不在の間も思いは伝わる






わたしが昼夜働くため、母はほとんどひとり暮らし。
生まれつき弱視で白内障を患うことから、
ひとがいるかどうかしか見えない母には留守番も入浴も危険。
右半身まひがあり、転倒したら楽な姿勢を取ることもできない。
こまめな安否確認が必要です。
調理・入浴はヘルパーに依頼。
落としても拾わなくていいように、スプーンは常にふたつ。
食物もお茶もくちびるの右端からこぼれてしまいます。
水分はすいのみ(らくのみ)を使って自分で飲む。
回復に応じて調理形態を「とろみ」から「きざみ」「やわらかめ」へと変える。
仕事の合間に、わたしも帰宅させていただきました。
誰かがいてくれる安心感、明るく聞いてくれる話し相手。
ほがらかに過ごせたことが母の意欲を支えたと考察します。





元気な方でも、思いやりが感じられるとうれしいもの。
見逃されがちですが、
ここのデザイン、重要です。












6、観察と理解がコミュニケーションを深めていく






車いすでトイレに行き、ひとりで便器に移る。
転倒したら骨折してしまいます。
母を引き取ったとき、転倒・骨折を予想し、
知人が取り扱っていた「カルシウム健康食品」を二か月間摂取。
右半身まひ発症は翌年夏のことでした。
生まれつき虚弱だった母は、子どもの頃から鉄棒が大好き。
温泉の手すりで毎回けんすいをしていました。
木綿糸を上腕に巻き、筋力でこれを切ります。
高齢になってからもゲートボールにはげみ、小柄で身軽でした。
闘病中、車いすごと転倒し、両足は痣だらけ。
「いふへいうひょうほ(生きている証拠)」と笑うほがらかさも、
抵抗力を高めたものと考察します。


病状や生育歴、家庭環境、
有形無形のリアクション、
表情やボデイランゲージ。
観察力と理解力を深めていきます。





7、口に出す言葉には優先順位がある






わたしは昼夜働いて生活を支えていました。
転職もできず、苛立って母に当たりたくありません。
業務を終え夜中に帰宅すると、床に母が倒れています。
「おいおおかあをおとひはお(お芋の皮を落としたの)」と言う母。
いまから片づけを始めたら、疲れきって当たってしまうでしょう。
「ここは明日、ヘルパーさんにお願いしよう。
さあ、もうお布団に入ろうね」と抱きかかえ、寝かしつけます。
床に張り付いた芋の皮は数日こびりついていましたが、
見ないようにしてやり過ごしました。


「家族に仕事を辞めさせては申し訳ない。
家族の重荷になることが辛い。生きていても仕方がない」
この思いがうつにつながり、意欲を失い、
主体性も抵抗力も下げてしまうと考察します。
グループホームから引き取られた当初はうつ状態でした。
「若いころ続けていた俳句を詠んでみたら」と勧めても手につきません。
右半身まひ回復後も、食事を残しては隠れてお菓子ばかり食べ、
「もう長くないから好きにさせろ」と起きてこない。
わたしはオカリナで曲を作り歌います。
ほかの部屋でときおり奏でるオカリナや歌に刺激されたのでしょうか。
「どれ、わたしもひとつ詠んでみようか」と思えたのでしょうか。
晩年の俳句にはいのちの美しさがあふれています。
「お菓子じゃなくて、まずごはんでしょう!」
「寝坊しないで起きて! 規則正しく暮らそうよ」とぶつかるたびに
「お母さんはわたしが看取るの!」
こう言い切られたことや、長年執着していた被害妄想を手放したことが、
前向きな創作意欲につながったと考察します。


最期の言葉は「ひおほ、ひおほ(わたしは大丈夫だから仕事に行きなさい)」
というものでした。娘の重荷にならないことが、母の誇りだったのでしょう。




日ごろあまり意識しませんが、
わたしたちは普通、
自分の感情を最優先で口にします。
そのため、相手を深く傷つけてしまうことも。
お互いの関係でいま一番優先したいこと。
ここを押さえた発言大切です。






8、コミュニケーションネットワーク






転居したばかりで近隣とのかかわりがなく、
行政にも地域にも安否確認体制がありません。
母とわたしが頼れるのは、サービス事業者だけでした。
ヘルパー訪問回数を増やし、限度額を超えた部分は自己負担しました。
入浴を介助し、調理した食事を配膳。
サービス終了後、母はゆっくり時間をかけ自分で食べ、食器はそのまま。
車いすで台所に入れるようになり、つかまって歩けるようになり、
やがて使用した食器を流しに運ぶようになり、
ついに流しによりかかって自分で洗うようになります。


ずっと同じ訪問介護事業所を利用。
調理形態などこまかい要望も叶えていただき、
社長夫妻も、非批判的・受容的な対応でした。
当時を知るベテランヘルパーは、訪問のたびに回復をほめてくださり、
なじみの方の温かい言葉は母の笑顔を引きだしました。
ヘルパーと母の信頼関係を最優先し、
介護に抵抗する母とぶつかることはわたしが受け持ちました。
闘病中通所介護は休み、1か月後杖歩行になって再開。
「皆さんのおかげでこんなに良くなりました」と闊達よく話すことが出来、
送迎の方を驚かせます。


元気に通所していましたが、ほがらかな人柄が裏目に出て、
作話が混じる会話に、利用者だけでなく専門職も混乱させてしまいます。
87歳頃から同行訪問で実習生がたびたび我が家を訪れました。
若い人をからかい、昔のことを教え、共に歌う。
本人らしさを引き出すサービスが、生きる喜びを支えたものと考察します。





行政や法律、病院などの関係機関を「社会資源」と言います。
あなたの問題にかかわる社会資源を見つけましょう。
さらに、自分自身の意欲やノウハウは「内的資源」です。
使える資源を整理してみる。
これが大切です。
また、「霊的資源」も活用できます。
 







9、ワンダーケアをはじめる






嫉妬妄想、もの盗られ妄想は50代で始まりました。
在宅介護中、「屋根の上を子どもが走り回る。
近所の人が集まって見ている。うるさいからやめるように言っておいて」
「家も会社も乗っ取られるからなんとかしなくちゃだめ!」
「夜中に妹が訪ねてくるのに裏の家で泊めてしまうので会えない」等、
幻聴や妄想が繰り返されました。
母の在宅介護中、仕事の都合で何度も転居しました。
見知らぬ土地で日中独居。
その寂しさを理解・共感し、言葉で言っても素直に伝わらないときは
心の中でしっかり母を抱きしめました。
それだけで不思議と母は落ちつくのです。


初めの貸家は家庭内暴力で離婚、空き家になっていました。
何も知らされていない母ですが、
男性の怒鳴り声と女性の泣き声を聞いたと訴え、
わたしが男性に殴られていると思い込んで
「辛かったね。何とかしないと」と心配します。
「夢だよ」と言いきかせても「確かに聞いた」と言いつのります。
妄想や昼夜逆転、日夜の業務に疲れふらふらになったわたしには
打つ手が見つかりませんでした。
(お母さんにその自覚は皆無だけれど、霊的な声が聞こえる体質? 
これはまさか霊現象?)と悩んだ末、
母に黙ってこっそり祓い清めを行いました。
「祓いたまえ。清めたまえ」と言いながら榊を塩水に浸して各部屋にふりまくのです。
その後不穏な訴えはなくなりました。
店子の出入りが激しい次の家では
「女性が暴漢に襲われた」と夜中に通報することが続き、
玄関にお札が貼ってあった3番目の家では、「なんだお前なんかに」
と鋏を振り上げて介護抵抗。
池で女性が亡くなった4番目の家では、夜中にたびたび叫び出しました。
祓い清めを求めるうち、わたしはとうとう祝詞を謡い、
衣装を縫って舞うようになります。


晩年、突然わたしの手を取り、母ははっきりとこう言いました。
90歳、認知症歴40年。
「人生山あり谷あり。だけど、生きていこうね」
その日、顔には出しませんが仕事で落ち込んでいたわたし。
へこんだ我が子の気持ちを察し自ら寄り添う母。
子どもの頃から、妄想ばかり言う母をなだめ、その度に振り回されてきました。
大好きだけど大きらい。
母に対して両面感情を抱えていたわたしは、ただおどろき、返す言葉を失います。


転居など環境の変化により症状が悪化することがあります。
介護職としてできるかぎりの対応を続けますが、
限度を超えた症状と仕事の疲れから、やけになって家屋の浄化を思いつくのです。
すると、目に見えない残存エネルギーが取り除かれ、
激しい妄想や幻聴、問題行動が収まります。
霊的な環境から受ける影響や祓い清めの効果に個人差はあるのでしょうが、
感情面でも落ち着いて、母には良い結果になりました。
このことから、「土地・家屋の浄化・祓い清めはスピリチュアル的な環境整備」
と位置づけいたします。






土地・家屋の浄化と祓い清め。
実はこれが、霊的な環境の整備です。
安心・安全に暮らすために、
わたしたちは
掃除や整理整頓をしますね。
同じように、
霊的に安心・安全に暮らせるよう、
浄化して環境を整えます。






10,ワンダーケアには結果が伴う






多くの方々に支えられ、母は認知症を40年も患いながら、
生き生きと自分らしく暮らすことができました。
遺品の中から見つかった数々の俳句には、
母の生きた日々と、そこにあるぬくもりが伝わります。


行きはぐれまよい入りにし小みちかな
こみどりのそのにうごかぬおや子づれ
父の手のたしかさ見上ぐ初夏の空
空の青写して田の面ひかりおる
父母のひざトテ馬車の行く春の風
ハイキングだみ声あげし人想う
巨ざくら空に向かいて登るごと
一点を見つめしあとの大あくび
花の枝のゆらぎて人をまねくごと
コスモスを連れきて部屋をなごませり
あじさいのみだれ咲き見る日は楽し
若き等が集う色香や夏祭り
頭が重いたんぼの草も腰をまげ
さかずきを干す人のむ人うたう人
ばらの花さされしとげを忘れおり
点々と早苗ならびて時を待つ
田は青田犬はねそべりながれぐも
越しかたも行くてもはるか岐路に立つ
今日よりは半馬かとなる我が運命




うつ状態で何も手につかなかった母が、
ひそかに俳句を詠んでいたことは、
思いがけないことでした。
その人らしい生き生きとした毎日。
意欲が、結果を出します。






11、病状を理解することも、コミュニケーションの効果を上げる






「病気のことは専門家に任せておけば安心」こう思う方は多いようです。
けれども、サービス会議や事業者への連絡調整、
福祉用具の手配、住宅改修工事の見積もり、行政への書類提出など、
サービスが開始するまでどうしても時間がかかります。
一方、症状を理解することで対応がわかり、
よりよいケアが家族によってタイムリーに行えます。
ですから、第1に病気や症状の専門的な理解は家族にとっても大変有益です。
第2に、本人も家族も、介護の犠牲にならないことが大前提と結論します。
愛する人の笑顔と幸せは生きる意欲と喜びを引き出し、
お互いの人生の質を高めるからです。


ワンダーケアを進めると、
相手の気持ちがわかるようになります。
物理的に離れていても、
寄り添ってあげられるようになるのです。








12、ワンダーケ






「魂は振動している」という話を聞いたことがあります。
肉体も振動しており、たましいに比べると、振動は重くゆっくりなのだそうです。
母の介護に疲れたわたしは秘術を考案し、奥の手として「魂の共振」を使いました。そうすると、母の不安や寂しさ、味方になってほしいという心が、

不思議と落ち着くのです。
けがをくり返すことがなくなり、BPSD(周辺症状)が改善されて、
認知症の母が、わたしの気持ちに寄り添う言動をとるのです。
それは、妄想が始まった50代から、母にはなかなかできなかったことでした。


わたしが子どもの頃から、母には妄想がありました。お墓参りのたびに、
「墓地のじざかいが、けずられていく。

ここにあったのに、もう、こんなにけずられてしまった」
こうなげくのです。

境には植木もあり、子どもの目にも、異変は見られません。
わたしはただただ不思議に思いました。
「お風呂をのぞかれ、写真を撮られている」
と、窓にガムテープを厳重に張り、
「窓の外で話を立ち聞きしている」
こう、苦悩を打ち明ける母。



高校生の時には、わたしは聞き役で、なだめる立場にありました。
「お父さんがわたしを追い出して、新しい妻を持とうとしている。

家も財産も取られてしまう。
居間で相談しているのを、わたしは台所で聞いた」
それが母の「嫉妬妄想」であるということも知らず、
(お父さんはひどい。お母さんを追い出そうとしている)
純朴なわたしは、ひそかに男性不信をつのらせます。
友人の家庭で温かさに触れてみると、

最高だと思っていた自分の家族は、
なんと無残なのだろうと理解できるようになりました。
大人になってからは、
(お母さんはきらい。親子じゃなかったら、絶対につきあっていない)
とまで思っていたのです。


そんな家族でしたから、母がグループホームに入所したことも、
ひとつてに知らされて驚き、あわててあちこち問い合わせます。ところが、
「個人情報ですから、入所先は娘さんにお答えできません」
と、行政も担当ケアマネも警察もそう答えるのでした。

これに逆上し、まるで手負いの母熊のように次々とみんなを怒らせ、
なんとか母を引き取ることになったとき、
(ああうれしい。やすこさんがくる)
こう喜んでいる自分に気がつきました。
(あれ? あんなにきらいだったのに・・・)
大きらいという気持ちも、確かにまだあるのです。

これに「両面感情」という名前があることは、
認知症の学びを深めていく過程であきらかになっていきます。
母を引き取ってから、わたしは、オカリナで曲を作り、
詞をつけて歌うようになりました。
なにかに導かれるように、輪廻転生や、

ヒーリングの本をむさぼるように読みました。
はるか縄文を想いながら、祝詞(のりと)を歌い、

オリジナルの衣装を作り、神の依代(よりしろ)として、
舞いを奉じるようになりました。
「わしらは禰宜さまの血筋だ」
本家から、こう聞かされたのもこの頃です。


音霊(おとだま)を用いて魂を共振させると、
温かいなにかが、母の魂からわたしの心に流れ込みます。
お互いに頑固者ですから、言葉によるコミュニケーションには限界がありました。

何も言わなくても母が安定し、症状が改善される。
お互いのつながりが深まってゆくことは、なんとも不思議なことです。


目をつむり、腰をおろし、ゆったりとした姿勢をとります。
やさしい風、心地よい陽ざし。
大好きな樹木や、花の香り。
愛するひとが、あなたの前にいるのがわかります。
その方は、すでに亡くなってしまったかもしれません。
遠くにいて、なかなか会えない。
もしかしたら、未来のパートナーか、お孫さんかもしれません。
両手を広げて、愛するその方を抱きしめましょう。
言葉はいりません。
自分が風になったように、あるいは大地であるかのように、
ただあるがままに抱きしめます。



音霊(おとだま)、または言霊(ことだま)を使います。
オカリナ、ハーモニカ、篠笛、太鼓、尺八、ピアノなどの楽器。
かしわ手、風鈴、おりん、数珠。
祝詞、お経、真言、異言(自分には意味の分からない言葉)、宇宙語。
なんでも結構です。

なにも考えず、なんの思いも込めず、ただ柔らかく、
心にその方を抱きながら、しばらくの時を過ごします。
30秒、あるいは20分でも結構です。
おそらく、2秒でもいいでしょう。たましいに、地球上の時間は関係ありません。
気が向いたとき、不定期に行ってもいいでしょう。
できれば、その後の経過を観察しましょう。




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Communication skills that results




In a society where the people and the people live, communication is important.
You could live vividly in each other and communication is successful,
it will depressed feelings and does not work.
It is encouraged no matter how when painful due to illness,
it may cause a willingness to live rather be lost.


Parents, partners, children.
Boss or co-workers, subordinates,
your neighborhood, your friends, your relatives.
Communication with loved ones does not work.
That time is not really painful.


I for eight years, was nursing the mother of dementia.
There is a condition called "communicate difficult",
the communication thing that was very hard.
But the mother is to overcome the right side of the body paralyzed in one month,
to overcome the severe symptoms, such as day-night reversal and a delusion,
wash the bowl,
you spend your own way cheerful life until the last moment.


Come to back pretending,
what resulted was the willingness of the mother.


Here, I was carried out feverishly,
we will report on the special communication skills.








1, communication is falling into difficulty






is you do you know the disease called "dementia"? 
I is the time of the student, I did not know that there is such a disease.
Dementia is a trouble of the brain, there are various causes for the development.
My mother was suffering from is the "Alzheimer's dementia" and "vascular dementia".
The following is an excerpt of the published reports in the journal Society.


My mother came out the symptoms of dementia in their 50s.
While it is not known to be ill, spend at home without having to visit.
Served as a kindergarten teacher in the season nursery school, I lived such as actively working in the Women's Association of the region.
Children left the house, two people living elderly couple.
From the representative of the town, "Oh, You know grandma" as is said to be,
it seems to have been a report that does not gibberish.


Widowed at 80 generations.
Taken off in the first son and his wife, to successfully go without a group home.
Visitation after half a year to realize, home care begins at home.
Right side of the body paralysis onset at 84 years of age, their own in going to the toilet from the day, overcome by one month.
After the recovery is also resumed auditory hallucinations, delusions, you often find the damage specific memorandum.


The mother argue vehemently a delusion,
"the old mark of cerebral infarction found was of.
Instead of stolen dementia of the., Was a delusion,"
I will hit this word while trouble.
After his death, the phrase "my fate to be a Han'umaka than today" to the manuscripts.
Improvement in his later years, even family relationships themselves. Until his death at the age of 90, wash the bowl yourself,
lived a cheerful life laugh around.






Mental and physical condition, indifference, self-esteem of the low.
Nowhere to go without emotions such as anger and impatience.
Clumsy communication skills.
We sterically capture the cause of falling into difficulty.












2, life is made ​​to those alive if there is a willingness






progression of dementia, and those who advance quickly by that person,
you person there proceed slowly.
My mother seems to have been the type to go slowly, but in the most severe time of the 82-year-old,
will continue to recover and then behavior problems.


50s jealousy delusion, things taken begins delusion
widowed 82-year-old husband, group home residents
83-year-old home care to the
84-year-old right side of the body paralysis onset. Traces of old cerebral infarction and multiple,
    Alzheimer is confirmed by examination. Recovery after one month
read the haiku, which became a 88-year-old manuscripts. 3 clause only me to commit a "mailing to"
be assisted the 89-year-old left and right, to your hierarchy of the castle tower walking down the stairs
complicated by 90-year-old cerebral infarction and pneumonia Ascension remains of one week unconscious.




There is anyone able to fall into despair.
In order to regain the motivation from there,
What are the methods.
There is no equation in there.
To contact alone you alone initiative,
We will continue to design individually.





3, the communication, to listen first, the story of the opponent






had developed right side of the body paralysis in the 84-year-old mother.
"I want to go to yourself in your toilet,"
that I think that could be realized, it will made ​​a miraculous recovery.
Belief that "end When you are ready to receive the care of servants" is,
was an important key to supporting the desire to live.


Mother show great referred to as the "Iun'eekiu (you can go to your in your toilet)".
Even if that body has become handicapped not understand in your head, it does not accept the emotion.
I also does not in any opening "unreasonable unreasonable. Quit because dangerous",
was generous in thought (do not When you also consider it Deki try).
The day of onset, tell me the operation of the wheelchair to go to the toilet alone,
the next day, Attach a small handrail in the toilet.
If not used a wheelchair, floor rent a handrail of,
Tsutai walk will help so that it can be safely.
Before long handrail it is also no longer required.


Excretion is independence to paralyzed the day of onset, I did not have time course to repeat the failure.
From "do-it-yourself" to "can not be as up to another now."
The feeling was not the migration will considered that for this.
Belief that "can" is backed, motivation was able to maintain.
A wheelchair in a state that even if there is a backrest becomes diagonally Jimisao,
floated the front wheels by step under the door straddle, go to the bathroom alone.
Go a few steps with a handrail reach the toilet bowl.
Thus mother, amaze around to overcome the right side of the body paralyzed in one month.



Also that no matter how ridiculous, listen nodded.
Although it is easy to deny the "can not", "useless",
Of the hepatorenal, also will in Soi motivated.
By I am positively listening,
Motivation will be pulled.
※ by the content and status of the story there is that the corresponding changes.










4, "spoiled" and the sense of security that gives the skin ship






not stand on their own, walk not mother.
Once a month, and visits by private car.
Onset in August, the hospital Obon holiday.
A high fever without taking the well water, looking for a hospital that is medical care,
we visit several times to receive a drip.
Garden and parking, I embrace suffering 30 kilograms of mother, the hospital is using a wheelchair.
In order to release the body as "I Uie (bad hey)",
it will be rather unbalanced unstable.
The scolding and "have firmly stuck! Stagger about and Are dangerous!" Every time
we hugged tightly.
Hugging faced it, was to "make enough graces".
Mother was the fullest by your body during his illness, it does not delusion to the mouth.
By delusion after the recovery has resumed, auditory hallucinations, what percentage of the delusion
was considered to have occurred from loneliness.





Valid physical contact by a sense of distance of each other.
Born by "spoiled" is met, it works hard feelings.
Sense of security is the foundation of life.







5, here also think is transmitted between the absence






because I work day and night, my mother almost live alone.
From the fact that suffering from cataract inborn amblyopia,
voice mail also dangerous bathing on whether mother only see whether there are people.
There is a right side of the body paralyzed, you can not even take a comfortable position Once you fall.
Diligent safety confirmation is required.
Cooking, bathing ask the helper.
So nice not picked up when dropped, the spoon is always two.
Food nor will spill out from the right edge of the lips tea.
Moisture drink on your own using the hungry only (Raku only).
Changing the cooking forms depending on the recovery from the "thickening" to "tick", "softer".
In between work, we have I also sent home.
Sense of security that will have someone, can you hear bright someone to talk to.
It considers that it is supported the willingness of the mother, who spend cheerful.





Even if you're energetic, those happy and caring is felt.
It is often overlooked, but,
Individual design, is important.












6, observation and understanding is deepening the communication






to go to the toilet in a wheelchair, goes to the toilet alone.
Fracture and will be Once you fall.
When taken up the mother, we expect a fall-fracture,
intake between the two months the acquaintance had been handled "calcium health food".
Right side of the body paralysis onset was that for the next year summer.
Born frail was a mother loves high bar since I was a child.
It was a Jianshui every time in the hot springs of the handrail.
Winding a cotton thread to the upper arm, you cut it in muscle strength.
Encouragement to gate ball from becoming older, was a petite nimble.
During his illness, fall for each wheelchair, both legs are full of bruises.
Cheerful is to laugh as "leopard say to awe ho (living proof)" also,
and considered that an increased resistance.



Pathology and developmental history, home environment,
Tangible and intangible of the reaction,
Facial expressions and body language.
We will deepen the power of observation and understanding.





7, the words that put in the mouth there is a priority






I was supporting the life and work day and night.
Can not even change jobs, you do not want to hit the mother frustrated.
When you come home in the middle of the night finished the business, it has fallen mother to the floor.
Mother to say "the nephew Oh Qa'a Otohiwao (was dropped your potato skin)".
Once you start the clean up from now, it will become hit exhausted.
"This is tomorrow, trying to ask the helper's.
Now, I try to enter the other futon" suffer embrace and, you Nekashitsuke.
Skin of potatoes stuck on the floor was caked few days, but
was Yarisugoshi that you do not see.


"Sorry let me quit my job in the family.
Helped also alive to become a family of the burden is painful."
This thought leads to depression, lose motivation,
will and discussion also be lowered resistance independence To do.
Originally taken off from the group home was a depressive state.
It does not attach to the hand recommends a "If I do poem the young followed by had haiku."
Even after the right side of the body paralyzed recovery, leaving the meal to eat only candy hidden,
not come happening with the "ey are in love because not much longer."
I will sing to make a song in ocarina.
It will have been stimulated to occasionally play ocarina and songs in the other room.
"Which, I also do Let's poem one" for you I did think that.
The beauty of life is full in the later years of haiku.
"Not 's candy, first would be rice!"
"Happening not oversleep! I Kurasou regularly" every time you hit the
"mother I care for the sick of!"
And that the anti-Ikira been, has been obsessed for years that was let go of paranoia is,
you consider that led to the positive creative impulse.


The last moment of the words "Hioho, Hioho (I go to work because it is all right),"
was that. That you do not become a burden of the daughter, it will was the pride of the mother.




Although not every day so much consciousness,
We usually,
And in the mouth with the highest priority their feelings.
Therefore, also become deep scratch another.
Thing you want to most priority now in relation to each other.
Remark was holding here is important.






8, communication network






without the involvement of the neighborhood just to move,
there is no safety confirmation system in the region also to the government.
My mother and I rely on the will, was the only service provider.
Increase the helper visits, the part that exceeds the limit was self-pay.
Bathing assistance, and serving a cooked meal.
After the service the end, my mother eat yourself slowly over time, tableware intact.
Would be placed in the kitchen in a wheelchair, caught will be able to walk in,
it will carry on flowing soon tableware was used,
you will wash yourself leaning in the sink at last.


Much use the same visit nursing office.
We grant also Komakai demands such as cooking form,
the president and his wife was also a non-critical, receptive response.
Veteran helper to know at the time, under .. praised the recovery each time of the visit,
warm person familiar words had pulled out the mother of smile.
The highest priority to the relationship of trust helper and mother,
that hit the mother to resist the nursing care I was responsible.
Illness in day care is rest, resume become a cane walking after one month.
Can speak well and vigorous and "became so well thanks to all of you",
you amaze towards the pick-up.


It was Outpatient cheerfully, but cheerful personality backfired,
to create story is mixed conversation, it will profession also confusing not only the user.
Apprentice in the bank visit since I was 87 years old and was often visited the home.
Teasing the young people, I tell you of the old days, singing together.
Service to bring out the person ness, and considered that supported the joy of living.





Government and law, and the relationship between organizations such as the hospital is referred to as "social resources".
It will help you find the community resources related to your problem.
In addition, the motivation and know-how of their own is "internal resources".
Try to organize the available resources.
This is important.
In addition, "spiritual resources" You can also take advantage of.

 






9, start the Wonder care






jealousy delusion, things taken delusion began in the 50's.
In home care, ". Running around the children on the roof
looking gathered neighbors. Keep telling them to stop because the annoying"
"No is not somehow because the house is also the company is also hijacked!"
"The middle of the night to sister come to visit not meet so would stop at the back of the house ", and the like, to
the auditory hallucinations and delusions has been repeated.
In-home care of the mother, it was also relocated several times on account of work.
During the day in a strange land solitary.
Understanding and sympathy for the loneliness, when it is not transmitted to the honest to say in words
was hugged tightly mother in mind.
It just wonder and mother I settle.


The beginning of the rental housing is divorce in domestic violence, it had become vacant house.
What is also a mother that has not been informed but,
accused of listening to the cry of yelling and women of men,
I convinced to have been beaten to the man
"It was hard. Somehow not when" you worry about.
Even Let Me Hear say "It's a dream," you Itsunori as "certainly heard".
Delusion and day and night reversed, I became a dizzy tired day and night of the business
was not found Utsute.
(But the awareness is a totally free mom, constitution spiritual voice is heard? 
This is surely spiritual phenomenon?) End that suffering and,
gave a Haraikiyome sneak silently to the mother.
"Pearl River exorcism. Cleanse the Pearl River," the Sakaki saying I Furimaku soaked in salt water in each room.
No longer then disturbing appeal.
In the intense next home and out of the tenants
continued to be reported to the middle of the night with the "woman was attacked by a thug",
in the third house bill that had been stuck on the front door, "What you something to"
the nursing resistance swung up the scissors.
The fourth house a woman died in the pond, began to cry often in the middle of the night.
Among seeking Haraikiyome, I finally sing the chant,
you will be dancing sew costumes.


His later years, suddenly took my hand, my mother told me clearly this way.
90-year-old, dementia history of 40 years.
"I'm There valley there life mountain., Alive Let us"
that day, but does not issue the face was depressed at work me.
Mother snuggle their own guess the feelings of recessed my child.
Since I was a child, coaxed the mother to say just delusion, we have been swayed by that time.
The size hesitation I would love.
Me that had the two-sided feelings for the mother, just surprised, you lose the words to return.


Symptoms may be exacerbated by changes in the environment, such as moving.
We will continue the correspondence as much as possible as long-term care workers, but
from tired of the work and the symptoms that exceed the limit, you come up with the purification of the house in desperation.
Then, the remaining energy which is not visible to the eye is removed,
severe delusions and auditory hallucinations, behavior problems will subside.
Individual differences in effects and Haraikiyome of effect received from the spiritual environment'll have to, but
settled down in emotional, the mother was a good result.
From this fact, "Haraikiyome cleanup and land and houses spiritual environment maintenance"
will be positioned as.






Haraikiyome and purification of land and a house.
In fact this is the development of the spiritual environment.
In order to live in safety and security,
We are
We will clean and tidy.
In the same way,
Spiritually safe and secure live as,
It purifies and prepares the environment.






10, with the results to Wonder care is






supported by many people, mother while suffering even dementia 40 years,
we were able to vividly live my ish.
The number of haiku found from among the relics,
and every day a living mother, and transmitted the warmth there.


Go stray to hesitation containing small road Kana
Shomidori of irrefutable in the parent-child-friendly
father of certainly Is the Miagu early summer of empty hand
empty blue transcribed Tanomo Hikari Nikki
spring of wind to go with knee Tote carriage of parents
hiking rough or harsh voice up Shi people think
every time the climb toward the giant Zakurasora
large yawn after Shi staring at one point
each time the fluctuation of the branches of flowers on leading the people
to come take Nagomaseri the room cosmos
fun day to see bloom disturbance of the hydrangea
young, etc. gather charm and summer festival
head is heavy rice field grass bending the waist of
free people sing people of people hanging out the goblet
and forget the roses bites Shi thorn
wait for a time in sequence Sanae and dotted
fields dogs Qingtian is Nesoberi flows fixture also
be come the way also go stand in much the crossroads
my destiny to be a Han'umaka than today



Mother, nothing was stuck in the hand in a depression state,
Secretly that had poem a haiku,
It was unexpected.
Vivid and every day seems to the person.
Motivation is, you put out the results.






11, it is also, increase the effectiveness of communication to understand the pathology






"of the disease it is safe if left to experts" seem to person often think this way.
However, communication and coordination of the service conference and businesses,
arrange for welfare equipment, estimates of residential renovation work, such as documents submitted to the government,
it takes absolutely time until the service to start.
On the other hand, found to cope with understanding the symptoms,
better care can be done in a timely manner by the family.
So, professional understanding of the disease and symptoms to the first is very beneficial for the family.
In the second, himself family, that does not at the expense of long-term care will conclude that the major premise.
Pull out the motivation and joy to live happy and smile of a loved one,
because it improves the quality of life of each other.


And proceed with the Wonder care,
It will be seen that the other party feelings.
Be physically separate,
It so is raised snuggled.








12, Wandake A






Have I ever heard the story of "the soul is vibrating."
Body also has vibration, compared to the spirit, the vibration is so he a slow heavy.
My tired to care of mother devised a numerology, we used the "resonance of the soul" as a trump card. Then, the mother of anxiety and loneliness, is the heart of wanting to become a friend,

you settle down and wonder.
No longer be repeated injury, been improved BPSD (peripheral symptoms) is
the mother of dementia, we take the words and deeds that snuggle up to my feelings.
It is, from the 50s that delusion began, we were not able to quite the mother.


From the time I was a child, there was a delusion to the mother. Each time the grave,
"the cemetery boundary stone is going to be cut.
But was here, and the other, so shaved and had"
I lament this.

The border is also Ueki, also in the eyes of a child, accident is not seen.
I think in nothing but wonder.
"I will look into the bath, has been photographed,"
and, Hari strictly the packing tape to the window,
"I overheard a story outside of the window"
This, mother confide the anguish.


At the time of high school, I am a listener, there was to appease position.
"Dad is expelling me, are trying to source a new wife.

Home also would have been also taken property.
The are you consult in the living room, I heard in the kitchen,"
it is a mother in "jealousy delusion" is also not known that a certain,
(dad is awful. the trying to expel are mom)
a naive I am, let secretly recruited men distrust.
When I touch the warmth of a friend of the family,

his own family that I thought the best I can,
now it can be understood and will what's tragic.
From the adult,
(mom hate if you do not 's. Parent and child, absolutely dating not)
I thought until the.


Because it was such a family, that my mother was admitted to a group home also,
surprised to be informed in Hitotsute, ask here and there in a hurry. However,
"because it is personal information, residents destination will not be able to answer the daughter,"
and, government is also responsible for Keamane also police also did answer so.

Amok in this, though one after another like a mother bear wounded angered everyone,
when you had to somehow pick up the mother,
(oh happy. Yasuko's come)
I noticed myself who are willing this.
(If? Though it was so much hate ...)
feeling that large hate also, but there certainly still.

This that there is a named "double-sided feelings" is,
will become apparent in the course to deepen the study of dementia.
Since taken up the mother, I will make a song ocarina,
now sing with the lyrics.
As can be derived in something, reincarnation and,
I read to devour a book of healing.
While feeling much Jomon, sing a chant (chant),

making the original costumes, as God of Yodai (more white),
now embrace the dance.
"Wasilla's customers bloodlines green onion"
from upstream, is around this time also was told this.


And to resonate the soul with a sound spirit (Otodama),
warm something, it flows into my mind from the mother of the soul.
Because it is bigot to each other, the communication by words there was a limit.

Nothing mother is stable also not have to say, the symptoms can be improved.
Thing is downright strange Yuku deepening ties of each other.


Tsumuri eyes, sat down, it takes a relaxed posture.
Gentle breeze, pleasant sunshine.
I love trees and, the fragrance of flowers.
People love is, you can see that in front of you.
As a person, you might have already passed away.
And it is in the far, not meet easily.
Maybe, if the future of the partners, might grandchildren.
With open arms, let's hug that person to love.
Words are not needed.
As it became the wind, or as if it is a ground,
just there you hug to leave but.


Sound spirit (Otodama), or use the Kotodama (Kotodama).
Ocarina, harmonica, shinobue, drums, bamboo flute, musical instruments such as piano.
Kashiwa hand, wind chimes, Orin, rosary.
Chant, sutra, Shingon, tongues (words that are in their own do not know the meaning), the universe language.
Anything is fine.

Anything without thinking, what thoughts even without rice, just soft,
while embracing its people in mind, you take time out to for a while.
30 seconds, or even 20 minutes is fine.
Perhaps, you might want even two seconds. In spirit, there is no relationship between time on the earth.
When the mind is directed, it would be good to go on an irregular basis.
If possible, let's observe the subsequent course.




Wonder care.
Ask for a special communication skills

special you to.