2016年9月25日日曜日

認知症  dementia









 母を看取ったわたしですが、父は急死でしたから、悔いを残しました。亡くなって三年後、

「守ってあげられなくてごめんなさい」

 と仏壇で泣いていると、

「おれはこっちで、すごい絵を描いているのだ!」

 こう言う父の言葉が、わたしの心に飛び込んできたのです。

だから、もう泣くな。

父はそう告げていたのでしょう。

 

 介護をしていると、「なぜ、わたしが?」「本当に、これでいいのだろうか?」と苦しむことがあるでしょう。もしお互いが、「ぜひ、あなたの世話になりたい」と、前世で約束した永遠の仲だったとしたら、どうでしょう。

完璧な介護なんてどこにもありません。

それでも、一緒にいられたらそれでいいのです。

 

「認知症」を通して母から学んだことはたくさんあります。

「福祉」と「社会的弱者」の視点から、「格差を支える社会構造」「矛盾の仕組み」が見えてまいりました。母が師匠であったのなら、認知症はまさに教本だったのです。

 

平成23年3月11日 14時46分。

東日本大震災がおこり、地震によって崩壊した東京電力福島第一原子力発電所の爆発。利潤追求の原子力ムラ。責任を取らない政府と東京電力。健康被害。補償はしないけれど、電気料金は値上げ。暮らしを再生するどころか、働いても貧困から抜けられない「非正規雇用」を増やそうとする政府。

「人命より経済」「死はやむを得ない」という社会の残忍さを、世界はまざまざと見せつけられます。

福島の被ばくは、大きな犠牲を払って、今まで見えなかったものを明らかにし、この「まやかしの仕組み」をあばきました。認知症を含め、障害や病気、災害は多くの苦悩と共に、「叡智」をひとにもたらします。

これを「身布施(みぶせ)」と言います。

 

介護さなか、わたしは自らを「鬼むすめ」と思っておりました。意欲を引き出し、自立した生活を、高齢の母に求めて、それでいいのかという思いからです。もうひとつは、霊的な「モノ」とのかかわりでした。

なつかしい故郷には「鬼伝説」があります。

「鬼」と呼ばれた蝦夷(えみし)のひとびとは、戦争も奪い合いもない里にくらしておりました。

1万年続いた縄文の遺物からは、「戦いで傷を負った遺骨」や、「焼き尽くされた里」のような、戦争の痕跡がまったく発見されないと聞きます。

物のはかなさと、たましいの永遠。

大自然、多民族との共生。

見えない身近な存在(万物のいのち)。

霊的なモノ(カミ)とともに、われはある。

たましいは繰り返し輪廻転生(生まれかわること)するそうです。

あなたもわたしも、ある時代では横暴な王様で、別な時代には、売り飛ばされ、搾取される奴隷だったかもしれない。しいたげられる人が子孫であったり、奴隷商人や皇帝が先祖であったり。

ならば、土地の私有も、権力や戦争も、お金もうけも搾取も、土地財産への執着も、すべて「だまし」「大うそ」「はったり」「ぼったくり」「詐欺」になるではありませんか。

芸術家や宗教者の課題であった「魂の永遠」は、いまや科学者、医療・福祉従事者、また子どもたちが証(あかし)する時代です。「弱肉強食」から「霊性主体」の世界へと文明が移り行く。2012年はこの岐路にあたると言います。

産みの苦しみのとき、「今、ここ」でなければ経験できない働きを、わたしたちは担うのでしょう。

 

母の介護と看取り。震災後の暮らしとたてなおし。本の出版。

お世話になった多くの方々に、この場をお借りして感謝申し上げます。ありがとうございました。






 It is I who was analyzed from the points of the mother, but the father because it was sudden death, left a regret. Three years later he died,


"I'm sorry not be raised to protect"


 When the crying in the altar and,


"I'm of here in, it depicts a great picture!"


 This refers to the words of my father, I have jumped into my mind.


So, Do another cry.


My father would had been told so.


 


 And we have a long-term care, "Why, I?" "Really, this wonder good at?" You'll have to suffer with. If each other, "by all means, I want to be to take care of you," and, if you said it was eternal relationship that was promised in a previous life, what about.


There is no where to be What a perfect care.


Still, I so wish I will come to together.


 


There are a lot of what I learned from the mother through the "dementia".


And "welfare" from the point of view of the "socially vulnerable", "social structure to support the disparity," "contradiction of the mechanism" is we have seen. If my mother was a teacher, dementia is exactly was the textbook.


 


2011 year and three months eleven days fourteen o'clock forty-six minutes.


It occurs the Great East Japan Earthquake, the explosion of the collapse of the Fukushima Daiichi nuclear power plant by the earthquake. Nuclear non-uniformity of the pursuit of profit. Government and the Tokyo Electric Power Company that do not take the responsibility. Health damage. But not compensation, electricity prices are price increases. Far from playing the living, the government to try to increase the "non-regular employment" can not escape from poverty is also working.


The brutality of the society called "economy than human life," "Death is unavoidable", the world will be confronted by vividly.


Exposure of Fukushima, paying a big sacrifice, to reveal what was not seen until now, was divulgence this "deception of the mechanism." Including dementia, disorder or disease, disaster, along with a lot of anguish, it brings the "wisdom" to the people.


This is called "only Fuse (Mibuse)".


 


Care midst, I have thought himself a "demon daughter". Pull out the motivation, it is an independent living, seeking the mother of the elderly, so the one from feeling that good. Another, was the involvement of the spiritual "things".


Old is in his hometown there is a "demon legend".


Hitojin of Ezo that has been referred to as the "demon" (Emishi) is, had been living in the village there is no scramble War.


From one million years lasted Jomon of relics, and "remains wounded in the fight", such as "village was burned", I hear that is not at all found traces of war.


And the transience of things, eternal spirit.


Nature, harmony with the multi-ethnic.


Familiar presence invisible (life of all things).


With spiritual things (Kami), we are.


Spirit is unlikely to repeat reincarnation (that replace born).


Also I am you also, in a domineering king in a certain era, in another era, is Uritobasa, might have been slaves is exploitation. Or a person who is oppressed descendants, slave traders and the emperor or an ancestor.


If, also privately owned land, even power and war, nor exploitation make money, or obsession with land property also, does not all be "deceived", "big lie", "bluff", "rip-off", "fraud".


It was the subject of artists and religious people "eternal soul" is the age now that scientists, medical and welfare workers, also children to witness (testimony). From the "law of the jungle" and into the world of "spiritual entity" is civilization go move. Two thousand and twelve years is said to hit in this crossroads.


When the birth pains, "Now, here" unless the work that can not be experience, we will to play.


 


Mother of care and end-of-life care. Life after the earthquake and rebuild. Publication of the book.


A lot of people who were indebted to, I would like to thank to take this opportunity. Thank you very much.

魂の絆   Bonds of the soul













 


 

母はその頃、

「二階を塾に貸したのかい? 子どもたちが大勢走り回っているけれど、屋根を走るのはやめてほしいねえ。近所のひとが集まって、大さわぎになったから」

こう、繰り返し訴えておりました。

「ひどく殴られていたねえ・・・あんたが泣き叫ぶのを聞いたよ」

 A町の借家で、いるはずもない男性に、わたしではない女性が殴られた?

「へえ、そう? ふうん」

否定も肯定もせず聞き流しながら、睡眠不足のわたしは、だんだんやけになっていきます。

昼夜逆転の症状(二七ページ参照)があまりにもひどかったため、非常手段のつもりで「土地の浄化」を試してみようと思い立ちます。

「ふたりがこの家を乗っ取る相談を聞いた!」

母の幻聴は、霊現象かもしれないと仮定して考えたのです。

 

方法はこうです。各部屋をめぐりながら、「祓いたまえ。清めたまえ」と、塩水につけた榊を振るのです。

階段で榊を振ったとき、

「ありがとう」という女の子のかわいい声が、わたしの心に届きました。

「はい」

 と応じて、はっと気づきます。あら。今の女の子はだれ?

 土地の浄化を行うと、母の幻聴がしばらく止むことがわかりました。そこで、転居の度に土地の浄化をくり返すことになります。

 


 

「魂は振動している」という話を聞いたことがあります。

肉体も振動しており、たましいに比べると、振動はゆっくりなのだそうです。

母の介護に疲れたわたしは秘術を考案し、奥の手として「魂の共振」を使いました。そうすると、母の不安や寂しさ、味方になってほしいという心が、不思議と落ち着くのです。けがをくり返すことがなくなり、BPSD(周辺症状)が改善されて、認知症の母が、わたしの気持ちに寄り添う言動をとるのです。それは、妄想が始まった五〇代から、母にはなかなかできなかったことでした。

 

わたしが子どもの頃から、母には妄想がありました。お墓参りのたびに、

「墓地のじざかいが、けずられていく。ここにあったのに、もう、こんなにけずられてしまった」

 こうなげくのです。境には植木もあり、子どもの目にも、異変は見られません。わたしはただただ不思議に思いました。

「お風呂をのぞかれ、写真を撮られている」

と、窓にガムテープを厳重に張り、

「窓の外で話を立ち聞きしている」

こう、苦悩を打ち明ける母。高校生の時には、わたしは聞き役で、なだめる立場にありました。

「お父さんがわたしを追い出して、新しい妻を持とうとしている。家も財産も取られてしまう。居間で相談しているのを、わたしは台所で聞いた」

それが母の「嫉妬妄想」であるということも知らず、

(お父さんはひどい。お母さんを追い出そうとしている)

純朴なわたしは、ひそかに男性不信をつのらせます。

友人の家庭で温かさに触れてみると、最高だと思っていた自分の家族は、なんと無残なのだろうと理解できるようになりました。

大人になってからは、

(お母さんはきらい。親子じゃなかったら、絶対につきあっていない)

とまで思っていたのです。

そんな家族でしたから、母がグループホームに入所したことも、ひとつてに知らされて驚き、あわててあちこち問い合わせます。ところが、

「個人情報ですから、入所先は娘さんにお答えできません」

と、行政も担当ケアマネも警察もそう答えるのでした。これに逆上し、まるで手負いの母熊のように次々とみんなを怒らせ、なんとか母を引き取ることになったとき、

(ああうれしい。やすこさんがくる)

こう喜んでいる自分に気がつきました。

(あれ? あんなにきらいだったのに・・・)

大きらいという気持ちも、確かにまだあるのです。これに「両面感情」という名前があることは、認知症の学びを深めていく過程であきらかになっていきます。

 

母を引き取ってから、わたしは、オカリナで曲を作り、詞をつけて歌うようになりました。

なにかに導かれるように、輪廻転生や、ヒーリングの本をむさぼるように読みました。

はるか縄文を想いながら、祝詞(のりと)を歌い、オリジナルの衣装を作り、神の依代(よりしろ)として、舞いを奉じるようになりました。

「わしらは禰宜さまの血筋だ」

 本家から、こう聞かされたのもこの頃です。

音霊(おとだま)を用いて魂を共振させると、温かいなにかが、母の魂からわたしの心に流れ込みます。

お互いに頑固者ですから、言葉によるコミュニケーションには限界がありました。何も言わなくても母が安定し、症状が改善される。お互いのつながりが深まってゆくことは、なんとも不思議なことです。

 


 

目をつむり、腰をおろし、ゆったりとした姿勢をとります。

やさしい風、心地よい陽ざし。

大好きな樹木や、花の香り。

愛するひとが、あなたの前にいるのがわかります。

その方は、すでに亡くなってしまったかもしれません。

遠くにいて、なかなか会えない。

もしかしたら、未来のパートナーか、お孫さんかもしれません。

両手を広げて、愛するその方を抱きしめましょう。

言葉はいりません。

自分が風になったように、あるいは大地であるかのように、ただあるがままに抱きしめます。

 

音霊(おとだま)、または言霊(ことだま)を使います。

オカリナ、ハーモニカ、篠笛、太鼓、尺八、ピアノなどの楽器。

かしわ手、風鈴、おりん、数珠。

祝詞、お経、真言、異言(自分には意味の分からない言葉)、宇宙語。

なんでも結構です。

 

なにも考えず、なんの思いも込めず、ただ柔らかく、心にその方を抱きながら、しばらくの時を過ごします。三〇秒、あるいは二〇分でも結構です。おそらく、二秒でもいいでしょう。たましいに、地球上の時間は関係ありません。

 

気が向いたとき、不定期に行ってもいいでしょう。できれば、その後の経過を観察しましょう。


 

 





Tsumuri eyes, sat down, it takes a relaxed posture.
Gentle breeze, pleasant sunshine.

I love trees and, the fragrance of flowers.

People love is, you can see that in front of you.

As a person, you might have already passed away.

And it is in the far, not meet easily.

Maybe, if the future of the partners, might grandchildren.

With open arms, let's hug that person to love.

Words are not needed.

As it became the wind, or as if it is a ground, just there you hug to leave but.

 

Sound spirit (Otodama), or use the Kotodama (Kotodama).

Ocarina, harmonica, shinobue, drums, bamboo flute, musical instruments such as piano.

Kashiwa hand, wind chimes, Orin, rosary.

Chant, sutra, Shingon, tongues (words that are in their own do not know the meaning), the universe language.

Anything is fine.

 

Anything without thinking, what thoughts even without rice, just soft, while embracing its people in mind, you take time out to for a while. Thirty seconds, or even twenty minutes is fine. Perhaps, you might want even two seconds. In spirit, there is no relationship between time on the earth.

 

When the mind is directed, it would be good to go on an irregular basis. If possible, let's observe the subsequent course.