グループホームという、認知症になったひとだけが入る施設があります。ある日、わたしはそこで暮らしす母に会いに行きました。北向きのせまい部屋で、母は、泣きながら書いた手紙を示します。
「じつは、あるひとからあなたを養女にほしいという話があってね」
それは、乱れる文字で書かれた、切ない内容でした。わたしは母と相談して、この方に直接お便りを差し上げることにしました。
「お母さんを引き取りますので、養女のお話はうれしいのですがお断りします」
わたしの返事を見た相手は、びっくりして寝込んでしまいました。
「養女にしたいなんて、いちども言ったことがない!」
そのことばに、こんどはわたしが驚きます。すべて、母のうそだったのでしょうか。じつはこれが、「妄想」という認知症の周辺症状(※認知症には、新しい記憶ができなくなるなどの中核症状と、妄想などの周辺症状(BPSD)がある)だったのです。
「お母さんはこんなに重傷だったのか・・・では、これからはわたしが保護者にならないといけない。そうだ、介護のプロとしてやすこさんにかかわろう」
認知症が進んでいたことに衝撃をうけ、動揺した自分を、なんとかして支えなければなりません。「お母さん」と呼ばずに「やすこさん」と名まえを言うのは、子ではなく専門家であろうという、わたしの決意のあらわれでした。
妙なうなり声にわたしが気づいたのは、夜中のことでした。行ってみると、日ごろ元気なやすこさんが、寝室を出たリビングの床でうなっています。
「おほいえいいひあいお」
「・・・トイレに行きたい? ・・・立てないの?」
「あいおおう・・・おほいえいいひあい」
ろれつがまわらないまま、一生懸命、わたしに意思を伝えようとします。わたしはやすこさんを抱えて、トイレに連れて行きました。
「いつ、ころんだの?」
「あいおおう」
「大丈夫って・・・」
用がすんだやすこさんを抱っこして、布団につれて行き寝かせます。
(うん。朝になれば、きっと治っている)
のんきなわたしは、そう考えて寝ることにしました。
その日は病院もお盆休みで、わたしたちは、お墓参りを予定していました。
「うちで寝ていようか?」
朝になっても動けないやすこさんに、わたしはたずねました。
「いふ」
「えっ・・・うん、それなら、予定どおり、行きましょう」
わたしは、歩けないやすこさんを抱っこして乗用車に乗せ、40キロメートル向こうのお墓に向かいました。
わたしが育った実家の墓と、本家。
昼食を食べるためのレストラン。
やすこさんが育った実家と、実家の墓。
全部でほぼ100キロメートルの移動になりました。いとこたちは、体の不自由なやすこさんに、慰めとやさしい言葉をかけてくれました。
夕方自宅に戻っても、右半身まひは治っていませんでした。
「おといえいいひあい」
やすこさんには、『しもの世話をしてもらうようになったら終わり』という信念がありました。わたしは介護現場で働いており、夜も昼も留守になります。その間、やすこさんはひとりで過ごすのです。
「おしっこ、おむつにしてもいいよ」
「おといえいいひあい」
やすこさんは、あくまでもそうくり返します。
「わたしがいないとき、自分でできる?」
「えきう」
(ううん・・・それなら、やってみようか)
わたしの中で、ふと、(やってみてできなかったら、そこでまた考えよう)という思いがわきました。のんきなうえに、あまのじゃくなのです。見まわすと、玄関に、使っていない車いすがありました。高齢になった父のために購入したものです。さっそく、やすこさんを車いすに介助しました。
「これにすわって、ここを回すの。ブレーキはこれ。必ずブレーキをしてね。こう向きを変えて、こう動かすの」
やすこさんを誘導しながら、わたしたちは最初の問題にぶつかりました。ドアの下の段差が、車いすで越えられなかったのです。
「おしりをうかせて、車いすをもちあげるの。前のタイヤがこえられれば、うしろの大きなタイヤはついてくるから・・・できる?」
そう問い直すと、やすこさんは「えきう」と答えます。
トイレはせまくて、車いすでは入ることができません。
(すぐに手すりをかって、取り付けなくちゃ)
と考えながら、壁につかまって便器にすわるように、やすこさんを誘導します。
バランスを崩したり、転んだりしないように。
でも、右半身まひのからだがどう感じられるのか、しっかり経験できるように。
動作が自分でできていると思えるよう、わたしはこっそり介助しています。
「自分で下着の上げ下げができる?」
「えきう」
右半身まひが起こったその日に、やすこさんはひとりでトイレが使えるようになりました。これでわたしは仕事を続けることができ、一方で、母の自尊心と、存在価値(=自己評価)が守られたのです。
それからも、自分では起きあがることができずに、床に転んだまま、誰かが見つけてくれるのを待っていたことが何回かありました。
「ちょっと、よほいあっていまひた(横になっていました)」
訪問時間に現れたヘルパーさんに、やすこさんは、恥ずかしそうにそう言って、ほほ笑んだそうです。
一か月後、やすこさんは『生活リハビリ(※普通の生活によるリハビリ)』だけで、右半身まひを治してしまいました。
「うわあ、ずいぶんよくなりましたねえ!」
「ええ、みなさんのおかげですよ」
と、言葉もしっかり言えるようになって、みんなをさらに驚かせます。
『認知症』という病気は、実は、大きな可能性に満ちたものかもしれません。
まひが起こると、動揺や否定、嘆きを経験しながら、やがて「もう前のようには動けないのだ」と、つらい現実を受け入れていきます。
「自分でできる」から
「今までのようにはもうできない」
に気持ちが移行するまで、少し時間がかかります。
「どうせ、もうできない」
とおもいこんでしまうと、リハビリを勧めても意欲を持てなくなります。
「自分でできる」
という気持ちが強く、自分らしい生活を早く始めるほど、リハビリの効果が高いそうです。発見が早く、筋肉の力が落ちないうちに取り組めたことも、良い結果につながったのでしょう。
言葉には「ことだま」というちからがあるそうです。
話した言葉が実現するということです。聖書にも「はじめに言葉があった。ことばは神であった」と書かれています。言葉が世界を創ったというのです。
わたしたちは、毎日なにげなく言葉を発していますが、実は、否定的な言葉も、肯定的な言葉も、話した本人に戻るそうです。
「できっこないから」
「なにもしないで寝ていてよ」
という言葉が、いつか自分に実現するとしたら、これはこわいことではないでしょうか。
とはいえ、肯定的な言葉だけを選んで使うことは、なかなかむずかしいものです。ではどうすれば、ひとは心を育てることができるのでしょう。学ぶこと、資格を取ることは、人間を創ります。障害があっても、病気があっても、高齢になっても、途上にあっても、未熟でも、いのちは、等しく尊いもの。
こうして学びを深めてゆくうちに、わたしの目に、社会の矛盾が見えてくるのです。
右半身まひになったことを、やすこさんはちっとも覚えていません。
90歳になるころ、みんなで会津に行きました。楽しくきげんよくずっとお話をして、片道90分のドライブです。五階層の鶴ヶ城は、その頃、ちょうど瓦をふきかえていて、どんどん、かんかんと、にぎやかに工事中でした。
駐車場で車いすをお借りし、入り口に向かいます。受付で、中にエレベーターがないことを教えられ、わたしたちはやすこさんを取り囲みました。
「ここで待っていますよ」
空気を読んで、やすこさんは、にこにことそう言いました。
(待っていることはできるだろうけれど・・・せっかくここまで来たのだから)
でも、日ごろ十分のお散歩をするだけのやすこさんに、階段を登ることができるでしょうか。わたしはまよいました。
「2階から出口に向かうこともできますよ」
受付の方が教えてくれました。
「疲れたら出口に行こうか」
とうとう、わたしはそう口にしてしまいます。ええ、母を背負って階段を登ればいいのです。
「行こう。ちょっと階段があるけど、まあ大丈夫!」
車いすは受付で預かっていただけることになりました。
「はい、ここから階段ですよ」
生まれつきの弱視と白内障で、母には、ほとんどものかげしか見えていません。わたしと友人に右と左から両手を支えられて、やすこさんは急な階段を登ります。
「みなさんも、ゆっくりご覧になりたいでしょう」
ほかの観光客に道をゆずって、フロアで少し休憩をしたときに、やすこさんがそう言いました。城内は博物館になっており、当時の写真や、お城で使っていた品物がたくさん展示されていました。
(一気に登らないと、途中で動けなくなる)
そこにいたみんなも、きっと同じように感じていたのでしょう。
「何回も来ているから、わたしたちはいいのです。帰りはゆっくりながめながら下りていきましょう」
やすこさんの右手を持ってくれた友人が、ほほ笑んでそう言いました。
もうすぐ4階というときでした。
それまで楽しそうに話し続けていたやすこさんが急にだまりこみ、軽快に運んでいた足が止まってしまったのです。
「じゃあ、おんぶしようかね」
と、わたしは明るく言いました。それを聞いたやすこさんは、ひとつ大きなため息をつくと、ふたたび歩きだします。そしてとうとう、天守閣まで登ってしまいました。
「すごいねえ! もう90歳になるというのに、自分の足でここまで登ったねえ!」
天守閣からは、会津の町が遠くまで見渡せます。でも、この日は足場が組んであって、落下防止の幕も張ってありました。
「景色が見られなくて残念ですね」
自分はほとんど見えていないのに、やすこさんはそう言ってほほ笑みます。
「母ちゃん、下りはおんぶしてあげるよ」
「自分で歩けますよ。ふふふ・・・」
一時的に天守閣の屋根から降ろされていた一対のしゃちと、やすこさんのツーショットが撮れました。
That the group home, there is only enters facility people became dementia. One day, I went to see there in life to mother. In north-facing narrow room, mother, it shows the letter that I wrote while crying.
"Actually, it there is a story that I want you to the adopted daughter from a certain person."
It was written in the disturbed character, it was a painful content. I will consult with my mother, I decided to give a direct letter to this person.
"Since taking over the mom, the story of adopted daughter is glad, but I refuse."
Partner saw my reply is, I would in bed surprised.
"Nante want to adopted daughter, has never said it once!"
In its words, now will I surprise. All, what was the lie of the mother. In fact this is, peripheral symptoms of dementia as "delusional" It was (the ※ dementia, and the core symptoms such as new storage becomes impossible, peripheral symptoms such as delusions (BPSD) there is).
"In what mom was so serious ..., do not When I am now not a guardian. Yes, you Kakawaro to Yasuko's as long-term care of a professional."
Shocked that dementia had progressed, his was upset, you must support it somehow. To say the name as "Mr. Yasuko" not referred to as a "mother" is, that would be an expert rather than a child, was a manifestation of my determination.
I have noticed a strange growl was that the middle of the night of. When I went, daily energetic Yasuko-san, you have growling in the living room of the floor coming out of the bedroom.
"Ohoiei Ii iodide"
"I want to go to ... the toilet? Are not stand ...?"
"Aio Cormorant ... Ohoie good sorrow"
While not rotate the articulation, hard, and trying to tell me to intention. I suffer from Mr. Yasuko, I took to the toilet.
"When, the fell?"
"Aio intends"
"... I all right."
Use is to hug the Sunda Yasuko's, Lay took to the futon.
(Yeah. Once in the morning, it is surely healed)
Easygoing I, decided to sleep think so.
The day hospital is also Bon vacation, we had planned to grave.
"Do no matter sleeping on out?"
Ms. Yasuko can not move even in the morning, I was asked.
"Awe"
"Oh yeah ..., Well, as expected, let's go."
I, to hug the walk not Yasuko's put on passenger cars, we went to 40 km beyond the grave.
And the tomb of the family home that I grew up, the head family.
Restaurant to eat lunch.
And the family home Yasuko's grew up, my parents' grave.
Now to the movement of nearly 100 km in total. Cousins are, in handicapped Yasuko's body, he told me over the words gentle and comforting.
Even if the evening back at home, right side of the body paralysis was not healed.
"Otoie good sorrow"
Mr. The Yasuko, there was a belief that "the end When you are ready to have them take care of the servants." I have worked in the nursing field, it will also be out day and night. In the meantime, Mr. Yasuko is spend alone.
"Pee, it's good to the diaper"
"Otoie good sorrow"
Yasuko's returns chestnut last so.
"When I do not have, do-it-yourself?"
"Ekiu"
(No. I ... Well, do we try to do)
In my, suddenly, it was aside I think that (if failed to be try it, there also consider it). On top easygoing,'s the perverse. Turning looked, there was the entrance, you do not use a wheelchair. It was purchased for the father became older. Immediately, we assisted the Yasuko's in a wheelchair.
"Sitting on this, turning here. Brake is this. I was the brake always. This is changing the direction, move this way."
While inducing Yasuko's, we were hit in the first issue. Step under the door, it did not be exceeded in a wheelchair.
"Let emergence of the buttocks, lifting a wheelchair. If Rarere over the previous tire, because the large tires come with the back can be ...?"
When the re-question so, Mr. Yasuko will answer "Ekiu".
Toilet is narrow, you can not enter in the wheelchair.
(Immediately bought a handrail, is not installed)
While considered to be, to sit down on the toilet caught on the wall, and then induce Yasuko's.
Or destroy the balance, so as not to Dari fell.
But, what is felt how the body of the right side of the body paralyzed, to be able to firmly experience.
So that seems the operation is able to on their own, I am secretly assisted.
"I am up and down of underwear by yourself?"
"Ekiu"
On the day the right side of the body paralyzed happened, Ms. Yasuko is now the toilet can be used alone. Now I can continue to work, on the one hand, and the mother of self-esteem, I present value (= self-evaluation) has been protected.
Then also, to not be able to get up by yourself, while I fell to the floor, that someone was waiting for me to find there were several times.
"Hey, the ratio now there Yohoi (was lying)."
The helper, who appeared to visit time, Mr. Yasuko, saying so shyly, is so smiled.
After one month, Ms. Yasuko only "life rehabilitation (※ rehabilitation due to normal life)," I have cured the right side of the body paralyzed.
"Jeez, it became a lot better!"
"Yes, it is your thanks."
If, words also so say firmly, and was further surprised everyone.
Disease called "dementia" is, in fact, there may be something full of great potential.
If paralysis occurs, upset or negative, while experiencing grief, eventually the "I can not move and the other before like", we will accept the painful reality.
From "do-it-yourself"
"No longer is as up to now."
Until the feeling is transferred to, it takes a little time.
"Anyway, can not anymore."
When it would crowded I think that, you will not be able to have the motivation also recommends rehabilitation.
"Do-it-yourself"
Strong feeling that, is enough to begin early life seems to myself, the effect of rehabilitation is high likely. Discovered early, it was tackled within the muscles of the force does not fall even, Will led to good results.
The word is so there is a force called "Kotodama".
Spoken word is that is realized. Even in the Bible, "there is a word at the beginning. Word was God" has been written. Word I that has created the world.
We are, but we issued a casually words every day, in fact, negative words also, positive words also, is so back to the story was himself.
"Because there is no Dekikko"
"I slept without doing anything."
The word is, If you want to achieve in their own someday, this is I think not that scary.
That said, be picked only positive words is something quite difficult. In How, people will be able to nurture the mind. To learn, to take the qualification, you create a human being. Even if there is a failure, even if there is a disease, even in the elderly, even in developing, also immature, life, equally precious thing.
While Yuku to deepen learn this way, in my eyes, is the contradiction of society comes into view.
That it is now on the right side of the body paralyzed, Mr. Yasuko does not remember at all.
Time to become a 90-year-old, went to Aizu everyone. And to talk much better fun mood, one way is a 90-minute drive. Tsurukejo five hierarchy, that time, have just dubbed the tile, more and more, To rage, was in lively construction.
Borrowed a wheelchair in the parking lot, it will head to the entrance. At the reception, it taught that there is no elevator in, we have surrounds's Yasuko.
"We are waiting here."
Read the air, Ms. Yasuko is told To smiling so.
(Because of ... came much trouble so far but will be able to be waiting)
But, whether you'll be able to climb to Yasuko's just the daily enough of your walk, the stairs. I was lost.
"You can also directed from the second floor to the exit."
If the receptionist told me.
"Do you go to the outlet Tired"
Finally, I will get to do so mouth. Yeah, should I climb the stairs carrying a mother.
"Let's go. I hey there is a staircase, Well all right!"
Wheelchair now be able entrusted at the reception.
"Yes, it is a staircase from here."
In natural amblyopia and cataract, the mother, it does not see only little shadows. Is supported both hands from the right and left to me and my friend, Mr. Yasuko will climb the steep stairs.
"Everyone, you'll want to see slowly."
And gave way to other tourists, when a little break in the floor, Mr. Yasuko has said so. The castle has become a museum, of and photos at that time, the goods that have been used in the castle had been exhibited a lot.
(If you do not at once climb, you get stuck in the middle)
There to the plate everyone, would had surely feel the same way.
"Because they come many times, we are the good. The way back, let's go down while slowly watching"
Yasuko's friends who have the right of, said so smiling.
Soon when it was referred to the fourth floor.
Until then happily Yasuko, who had continued to talk Damarikomi suddenly, I foot who was lightly carrying is has stopped.
"Well, I guess trying to piggyback"
Once, I said brightly. Yasuko, who heard it, if one take a big sigh, and began to walk again. And finally, it has climbed up to the castle tower.
"I say to be a great Hey! Another 90-year-old, I climbed up here on his feet!"
From the castle tower, overlooking far is Aizu of town. But, this day there teamed up scaffolding, was Yes also stretched curtain of fall prevention.
"I'm sorry not seen scenery"
But his is not nearly invisible, Mr. Yasuko will smile and say so.
"Mom, down'll be piggyback ride."
"I can walk on their own. Hehehe ..."
And a pair of killer whales that had been temporarily taken down from the roof of the castle tower, Yasuko's two-shot was taken.