介護サービスを利用するとき、本人の希望するケアプランを、ケアマネージャー(介護支援専門員)が中心になって作成し、各サービス事業所との連絡調整を行います。実は、「自己作成」という制度が介護保険にあって、利用者本人、またはその家族がケアプランを作っていいことになっています。
ケアマネージャーは、担当できる人数が介護保険制度で決まっています。
母を引き取ったとき、手の空いている方がA町内(六九ページ参照)に見つかりませんでした。
(それなら「自己作成」をしてみよう)
こう、わたしは考えたのです。
当時「自己作成」は県内二例目であったそうで、行政もどうしたらいいのか模索段階でした。
一方、わたしもヘルパー二級でしたので、わかったような、わからないような、そんな状態です。幸い勤務先にケアプランの作成ソフトがあり、社長の許可とご指導をいただきながら、ケアプランをつくることができました。各サービス事業所との連絡調整といった実務面は、行政で担当してくださいました。
ケアプランは、「課題(アセスメント)」「経過(ケアプラン)」「評価(モニタリング)」という一連の流れがあり、定期的にこれを循環します。ここでは、母が右半身まひになったときの自己作成ケアプランをご紹介いたします。
①
排泄の自立
母には「しもの世話を受けるようになったらおわり」という信念がありました。ふり返って考えれば、母がひとりでおトイレに行けることは、生きる意欲を支える、重要なカギだったのです。
②
通院
自分で立てない、歩けない母の、月に一回の通院をどうしましょう。
③
調理、入浴、安否確認
深夜二時に帰宅し、朝七時にわたしが出勤するため、母はほとんどひとり暮らしでした。自分で調理できず、ひとがいるかどうかしか見えない母には入浴も危険があります。右半身まひになれば、こまめな安否確認も大切なことです。
④
骨折の予防
車いすでおトイレに行きますが、ひとりで便器に移るとき、もし転倒したら骨折してしまいます。どのように予防したらいいのでしょう。
⑤
主介護者と生活の安定
おそれおおくも「主介護者」とはわたしのことです。当時は昼夜働いており、生活を支えるため、転職することはできませんでした。
⑥
サービス事業者とのかかわり
転居したばかりで近隣とのかかわりがなく、行政にも安否確認体制がありません。母とわたしが頼れるのは、サービス事業者だけでした。
①
排泄の自立
右半身まひ発症の当日、車いすの操作を教えると、母は「いうんええきう」と言いました。翌日、おトイレに百円ショップで見つけた手すりを取り付けました。車いすを使わなくなると、床置きの手すりをレンタルしました。これも使わなくなって、転居と同時に返却しました。
②
通院
個人病院に自家用車で通院し、庭や駐車場は母を抱きかかえて移動しました。母が「わういええ(わるいねえ)」と身を離すのでかえってバランスを崩し、不安定になるので「しっかりくっついてくれないと危ないの!」と叱りました。母を抱きかかえることは、母を「十分に甘えさせる」ことでもありました。ここは鬼むすめの「やさしい仮面」が大活躍です。
③
調理、入浴、安否確認
調理・入浴はヘルパーさんにお願いしました。母は、いわゆる「ろれつがまわらない」状態です。食べものをかみ砕くことや飲み込みのちからが弱くなっています。落としても拾わなくていいように、スプーンは常にふたつ。水分はすいのみ(らくのみ)を使って自分で飲みます。回復に応じて調理形態を「とろみ」から「きざみ」へと変えていただきました。
わたしも、仕事の合間を見て安否確認に帰宅しました。
④
骨折の予防
母を引き取ったとき、転倒・骨折を予想し、社長が取り扱っていた「カルシウム健康食品」を二か月間摂取ました。
⑤
主介護者と生活の安定
母の通院は休みを取り、仕事の合間に帰宅しながら、転職しないで仕事を続けることができました。
⑥
サービス事業者とのかかわり
実は、当時母は「要介護一」でしたので、右半身まひ発症に伴って「区分変更申請」を出しました。でも、「急性期」という行政の判断で、介護度は変わりません。転倒しても自分では起き上がれない状態でしたので、安否確認も兼ねてヘルパーさんの訪問回数を増やし、限度額を超えた部分は自己負担しました。調理した食事を配膳しヘルパーさんは帰宅。母は時間をかけてゆっくり自分で食べ、食器はそのまま。だんだん歩けるようになって、なんとか流しに運ぶようになり、やがて自分で洗うようになりました。「できるだけ自分でやる」これも鬼むすめの掟です。
①
排泄の自立
右半身まひを発症した母は、「自分でおトイレに行くことができる」と思い込んでいました。もしかしたら、認知症による「言いつくろい」という症状だったのかもしれません。「できっこないから」「無理無理。危ないからやめて」という言葉は、わたしは一切口にしませんでした。自分でやってみて、できなかったら納得するだろうと、そうおっとり考えたのです。ところが、母は車いすでおトイレに行き、自分で便器に移って、ズボンの上げ下げをし、後始末をし、戻ってくることができました。このことが母のプライドを守ったのでしょうか。一時のうつ状態はどこへやら、おトイレにひとりで行くという「生活リハビリ」だけで、一か月後、母は右半身まひを克服したのです。
②
通院
母の幻聴、妄想は、寂しさから起こったものではないか。後になってわたしはそう考えました。ふり返ってみれば、右半身まひの闘病中、母は妄想を言いませんでした。自分の体のことで精いっぱいだったことも事実ですが、わたしに抱っこされて通院したことが、母の寂しさを埋めたのだとしたら、これはうれしいことでした。
③
調理、入浴、安否確認
ヘルパーさんを自宅に入れ、生活のすべてを他人の目にさらされることは、最初本当に恥ずかしく、抵抗があるものです。どうにもならない事情があって、やむを得ずに利用を開始するのですが、このいたたまれない気持ちも、だんだん開き直ることができるようになります。
八六歳ころからは、「実習生? 同行訪問? 若い人をからかうのが母は大好きだから、もう、どんどん連れて来て」という事態にまでおよび、
「やすこさんはいいですねえ! 連れて帰りたいようです!」
と、ほれ込まれるほどになりました。これが「若いヘルパーさんと駆け落ち騒ぎ」です。
④
骨折の予防
生まれつきの弱視で、虚弱だった母は、子どもの頃から鉄棒が大好きでした。温泉に行けば手すりにぶらさがってけんすいをします。木綿糸を上腕に巻き、筋力でこれを切ることができました。高齢になってからもゲートボールにはげみ、なかなか身軽でした。
闘病中、車いすごと転倒し、両足は痣だらけになりましたが、
「いふへいうひょうほ(生きている証拠)」
と笑うほがらかさがありました。回復後も、何度か転倒して二、三日寝込むことはありましたが、幸い骨折はしませんでした。
専門的な学びの中で、「散歩」に大きな価値があると、わたしは思うようになります。
「日光浴をして歩くことは筋力の低下を防ぎ、血流を良くし、さらに脳に酸素を送り、骨を作る。少しの雨や雪でも、温かくしてヘルパーさんと散歩してきなさい!」これが、「鬼むすめ最大の掟」です。
「娘さんの意向ですから」にこにこと勧めるヘルパーさんに、
「ちょっと日光消毒してきます」こう応じて、母はみんなを笑わせてくれました。
⑤
主介護者と生活の安定
母の最期のことばは「ひおほ、ひおほ(仕事にいきなさい)」というものでした。病気をすると、
「家族に負担をかけて申し訳ない」
という気持ちになることがあります。介護サービスを利用することで、わたしが仕事を続けることができ、母は心の安定を得て、回復にプラス効果となったのかもしれません。
⑥
サービス事業者とのかかわり
ずっと同じ訪問介護事業所を利用していました。その間、ヘルパーさんにも社長ご夫妻にも、「非批判的・受容的な対応(批判せず、あるがままに受け入れること)」で支えていただきました。
母とわたしは引越が多く、三市町村内で四回移転します。ケアマネさんには担当区域があり、転居するごとに母の担当ケアマネが変わります。自治体の姿勢と、かかわってくださったケアマネさんの方向性が似ているのは興味深いものです。
・A町 母を引き取り、翌年、右半身まひを発症します。
我が家の自己作成ケアプランで、サービス事業者との連絡調整をしてくださったのは行政の方々です。大変熱心にあたってくださる一方、「余計な仕事を増やさないで」と、一部で本当に困っておられました。
その夏、突然右半身まひになり、区分変更申請をしたものの、「急性期であるため却下」となります。
「介護保険は家族のためにあるのではありません」こう、ケアマネさんがわたしに断言します。
・B市 自己作成をやめてケアマネさんに替わります。
サービス会議に本人や家族も参加し、ケアプランに同意することが介護保険の特色ですが、
「サービス会議には、やすこさんもむすめさんも来ないでください」
こう、担当の居宅介護支援事業所から言いわたされます。
行政の意向が強く、利用者よりも制度、制度よりも商売という印象です。
・C町 ケアマネさん、専門職、医師もともに議論を深めます。
「専門職の連携」は現場の課題ですが、ほかの自治体になかったところは、多くの専門職と民生委員、二級ヘルパーがドクターと同じテーブルで事例研究を行うことです。気さくなドクターが多く、「多職種協働」の実感があります。
A町、B市で認められなかった「ヘルパーの介助によるお散歩」は、C町ではケアプランに乗せることができます。ケアマネさんも利用者寄りです。
「高血圧が落ち着くにつれて、精神症状も連動して落ち着くといいますよ」
と、ケアマネさんも勉強熱心です。
もちろんこれは、わたしの個人的な体験ですので、極端な事例と考えていただければ幸いです。こうしてみると、学ぶ必要があって経験させられたように思います。
50代 嫉妬妄想、もの盗られ妄想はじまる。
82歳 夫と死別、グループホーム入所。
83歳 在宅介護へ。
84歳 右半身まひ発症。一か月後に回復。
88歳 遺稿となった俳句を詠む。
89歳 五階層の天守閣へ登城
90歳 昇天
When you use a long-term care services, the care plan desired by the person, care manager (care manager) to create is in the center, do the coordination of the respective service office. In fact, in the institutional long-term care insurance that the "self-created", the identification of the user, or their families, has become a good thing to make a care plan.
Care manager, responsible for possible number of people have decided in the long-term care insurance system.
When taken up the mother, who are available to do could not be found in the A town (see sixty-nine page).
(Well Let's the "self-created")
This, I I thought.
At the time "self-created" the case in which was the prefecture two examples eyes, was the one seeking stage I do if even the government.
On the other hand, because I was also a helper secondary, I found was like, do not like know, is such a state. There is a creation software of care plan Fortunately office, while received the permission and guidance of the President, we were able to make a care plan. Practical aspects such as communication and coordination with the respective service office, please in charge in the government.
Care plan, there is a series of flow of "challenge (assessment)," "passed (care plan)," "evaluation (monitoring)", and regularly circulating this. Here, we will introduce a self-creating care plan when the mother was on the right side of the body paralyzed.
① independence of excretion
The mother there was a belief that "the end When you are ready to receive the care of servants." Given returned pretend, that the mother can go to your toilet alone is, support the desire to live, it was an important key.
② hospital
Not stand on their own, walk not in the mother, what about the one-time visit to the moon.
③ cooking, bathing, check safety
Late at night to go home to two o'clock, because I go to work in the morning at seven, my mother was almost living alone. It can not be cooking on their own, of whether the mother that only see whether there are people there is a danger even bathing. Once on the right side of the body paralyzed, it is the frequent safety check is also important.
④ prevention of fracture
You go to your bathroom in a wheelchair, but when going to the toilet alone, will fractured Once you fall if. How Will it do prevention.
⑤ stability of life and the main caregiver
Osoreoku is also referred to as "primary caregivers" is me. At that time has been working day and night, to support the life, it could not be able to change jobs.
⑥ relationships with service providers
Just relocated without the involvement of the neighborhood, it does not have a safety confirmation system also to the government. My mother and I rely on the will, was the only service provider.
① independence of excretion
On the day of the right side of the body paralysis onset, and teach the operation of the wheelchair, the mother was referred to as "Iun'eekiu". The next day, was fitted with a handrail that was found in the hundred yen shop to your toilet. If not used a wheelchair, it was rent a handrail of every floor. This is also no longer used, it was returned at the same time as the move.
② hospital
And visits by private car to the private hospital, garden and parking has been moved suffer embrace the mother. Mother destroy the rather balance because you release the body as "I Uie (bad hey)", I was scolded as "Are dangerous if not you firmly stick!" It is unstable. To get one's arms around the mother, there was also that the "cause enough graces" the mother. Here is the demon daughter "friendly Kamen" is a big success.
③ cooking, bathing, check safety
Cooking, bathing has to ask the helper's. Mother is the so-called "slurred speech" state. Force or of swallowing that chew the food we are weakened. So nice not picked up when dropped, the spoon is always two. Moisture will drink it yourself using the hungry only (Raku only). It was changed to "tick" from the "thickening" the cooking forms depending on the recovery.
I also came home to safety confirmation look at the intervals of work.
④ prevention of fracture
When taken up the mother, expect a fall-fracture, the president had handled the "calcium health food" was Mashi intake between the two months.
⑤ stability of life and the main caregiver
Mother of the hospital takes a rest, while returning home in the intervals of work, was able to continue the work without changing jobs.
⑥ relationships with service providers
In fact, at that time because the mother was "care one", was accompanied to the right side of the body paralysis onset issued a "division change application". But, at the discretion of the government referred to as "acute phase", level of care does not change. Because even if the fall was the state that does not get up by themselves, increase the number of visits's helper also serves as safety confirmation, the part that exceeds the limit was self-pay. Catering to Mr. helpers go home cooked meal. My mother ate slowly yourself over time, tableware intact. So walk gradually, now carry the sink somehow, now soon wash yourself. "As much as possible do it yourself," This is also a commandment of demon daughter.
① independence of excretion
Mother who developed the right side of the body paralyzed, was not convinced that "it is possible to go to yourself in your toilet." Maybe, perhaps it was a symptom of "say mending" by dementia. The term "because there is no Dekikko," "unreasonable unreasonable. Quit because dangerous", I did not in any opening. Try it on their own, and would be convinced If you can not, I was thinking so unfussy. However, the mother went to your toilet in a wheelchair, moved to the toilet on their own, and the raising and lowering of the pants, and the clean up, I was able to come back. Will this thing kept the mother of pride. Where Yara to a temporary depression state, only "life rehab" that go alone to your toilet, after a month, my mother did it overcomes the right side of the body paralyzed.
② hospital
Mother of auditory hallucinations, or delusions, not what happened from loneliness. I think so is after. Come to back pretending, in the battle of the right side of the body paralyzed, my mother did not say a delusion. Is a fact also that it was the fullest by your body, but that I was hug attending to the is, if you and I were to fill the loneliness of the mother, which was that happy.
③ cooking, bathing, check safety
Put the helper's at home, and be exposed to all of life in the eyes of others, is what first really embarrassed, there is a resistance. If there are circumstances that can not do anything, I start the forced use, this Itatamarenai feelings, you will be able to gradually make a virtue of necessity.
Eighty-six-year-old from the days, "because I love my mother to make fun of apprentices? Accompany visit? Young people, and the other, to bring more and more" to the situation in, and,
"Yasuko's seems to want to go is hey! Brought to say!"
If, now enough to be Horekoma. This is the "young helper's and eloped commotion."
④ prevention of fracture
In natural amblyopia, it was a frail mother, loved high bar since I was a child. And the Jianshui hanging on to the railing if you go to the hot springs. Winding a cotton thread to the upper arm, it was able to cut it in muscle strength. Encouragement to gate ball from becoming older, was quite agile.
During his illness, fall for each wheelchair, both feet are now full of bruises,
"Leopard say to awe ho (living proof)."
There was a cheerful it is to laugh with. Even after the recovery, the two-and fall several times, but there was able to come down for three days, did not Fortunately fracture.
Among the professional learning, and there is a great value in the "walk", I look like I think.
"Prevents a decrease in muscle strength to walk to the sun, to improve the blood flow, further sends oxygen to the brain, making the bone. Even a little bit of rain and snow, Come take a walk with the helper's a warm!" This is the , it is the "demon daughter greatest commandment."
The helper's counseling To smiling, "because it is the intention of daughter",
"You've been a little sunlight disinfect" this response, my mother gave me laugh everyone.
⑤ stability of life and the main caregiver
Last moment of the words of the mother was that "Hioho, Hioho (go to work)." When the disease,
"I'm sorry over a burden on the family."
You might be feeling that. By using the long-term care services, I can continue to work, mother to obtain the stability of the heart, it might have become a positive effect on recovery.
⑥ relationships with service providers
It was much use the same visit nursing office. In the meantime, even the President and Mrs. even helper's, it was supported by the "non-critical, receptive response (without criticism, there has to accept to leave)."
My mother and I have many moving, will move four times in a three-municipality. The Mr. Keamane there is a charge of the area, the mother of charge Keamane will change each time you move. And the municipality of attitude, the direction of Mr. Keamane of us involved are similar is interesting.
· A-cho mother the take-off, the next year, develop the right side of the body paralyzed.
In our house of the self-creation care plan, it is the people of the government's who have the communication and coordination between service providers. While he will hit the very enthusiastic, and "not increase the extra work", was he really in trouble in part.
That summer, made a sudden right side of the body paralyzed, although the division change application, will be "rejected because of the acute phase."
"Long-term care insurance is not there for the family," she said, Mr. Keamane will affirm to me.
· B City quit the self-created instead Keamane's.
Also participated himself and family services conference, but is a feature of it is long-term care insurance to agree to the care plan,
"In the service conference, please do not come even Yasuko's also daughter"
This will be passed to say from the home care support office in charge.
Strong intention of the government, is the impression that business than the system, system than the user.
· C-cho Keamane's, professional, deepen also both discussion doctor.
"Professional cooperation" is a challenge of the site, the place was not in addition to the local government, many of the professional and consumer committee, is to do a case study in the same table secondary helper is the doctor. Friendly doctor a lot, there is a feeling of "multidisciplinary collaboration".
A Town, was not observed in the B city "walk by helper assistance of" is, you can put in the care plan in the C-cho. Keamane's is also user closer.
"As hypertension is settle down, I called the settle in conjunction also psychiatric symptoms."
If, Keamane's is also studying enthusiastic.
Of course, this is my personal experience, so I hope you'll believe that extreme case. When I was doing, I think that was allowed to experience it is necessary to learn.
50s jealousy delusion, things taken beginning delusion.
82-year-old husband and bereavement, group home residents.
83-year-old to home care.
84-year-old right side of the body paralysis onset. Recovery after one month.
Read the haiku, which became a 88-year-old manuscripts.
89-year-old Tojo to five hierarchy of the castle tower
90-year-old Ascension