2020年11月24日火曜日

脳動脈瘤 Cerebral aneurysm

 



世界のお友だち、こんにちは。



ご無沙汰しています。

お元気ですか?



寒くなって、コロナも猛威を振るっています。

皆さんの町ではいかがでしょうか。



医療関係者の方々も、

介護現場の方々も、

どんなにか大変なこととお察しいたします。



どうか、おからだをいたわってくださいね。




さて、皆さんは、脳動脈瘤という病気をご存じかと思います。

脳の中の動脈、

血管の壁に、こぶができるのですが、

これが大きくなると破裂のリスクが高くなるので、

手術を勧められます。



聞いてみると、何人かの友人が、

経過観察中の脳動脈瘤を持っているそうな。



実は、数年前、私にも脳動脈瘤があることがわかりました。



見つかったきっかけを聞かれますが、

500円玉を2回落としたので、脳を調べてもらったのです。



その前日、職場でショックなことがありました。

当時、ある国家試験の試験勉強をしていましたので、

これが、脳梗塞発症のきっかけになるのかもしれないと思ったのです。




職場の看護師も、500円玉を落としたことを話すと、

「それ、危ないですよ」と言ってくれました。

で、予約をして、脳の検査を受けたのです。

見事、見つけてもらいました。



母が脳梗塞を繰り返していたので、

実のところ私は、そっちを疑っていたのです。




まさかの、脳動脈瘤・・・




さて、ここからが不思議な話です。



私は離婚経験がありますが、

当時、東京タワーで撮影してもらった写真が



実は、心霊写真でした。

処分してしまったので、お見せすることはできないのですが、

私の顔が透けていて、向こうの景色が写っているのです。




(いつか、私は頭の病気をするのかな・・・)




心霊写真は、病気をする場所が消えるといいます。


「頭の病気に気をつけてね」

その当時、霊感のある友人にも、そういわれていました。




脳動脈瘤が見つかってしばらくしてから、

このエピソードを思い出しました。




さて、ここからさらに話が進展します。




杉山さんという、治療家に出会います。

この方は、医療関係者ではありませんが、

がんの治療を得意とされる方だそうです。




診ていただきました。




脳動脈瘤ができたのは、17年前だそうです。




「離婚したころですか」

「それだ!」




「5つあるよ。6つめができはじめている」




MRIで検査して、見つかったのはひとつです。

検査で見つかるものより、小さいのかもしれません。




現在の職場にはいろいろ問題があるので、

6つめができ始めているというのも納得でした。

とはいえ、半信半疑でもあります。




「治療だが、今のぼくにはまだその力がない。

 しかし、やってみるかい?」



「お願いします」

私は大きくうなずきました。

現時点で、治療方法がありません。

経過観察中であることは、杉山さんに伝えてあります。

がんの治療は得意な杉山さんも、

脳動脈瘤に、一緒に取り組んでくださるそうです。



横顔が、亡き父にそっくりな方です。

天国のお父さんも、心配してくれているのかもしれませんね。



私の脳動脈瘤は、

手術を受けるにはまだ小さいので、1年に1回の経過観察の段階です。

来年の1月ころ、またMRIを受ける予定です。

数年経過して、どうなっていくのか、

医療面での経過観察が楽しみですらあります。




ということで、

脳動脈瘤のついての不思議なお話でした。

また経過を報告しますね。






Friends of the world, Hello.



long time no see.

How are you?



It's getting cold and Corona is rampaging.

How about in your town?



Medical professionals

People in the nursing care field

I think it will be difficult.



Please take care of your body.




By the way, you all know the disease called cerebral aneurysm.

Arteries in the brain,

I have a hump on the wall of a blood vessel,

The larger this is, the higher the risk of rupture, so

Surgery is recommended.



When I asked, some friends

He seems to have a cerebral aneurysm under follow-up.



In fact, a few years ago, I found out that I also had a cerebral aneurysm.



You will be asked how you found it,

I dropped a 500-yen coin twice, so I had my brain examined.



The day before, I was shocked at work.

At that time, I was studying for a national examination, so

I thought this might be the trigger for the onset of cerebral infarction.




The nurse at work also said that he dropped a 500-yen coin.

He said, "That's dangerous."

So I made an appointment and had a brain test.

I had you find it wonderfully.



My mother had repeated strokes, so

In fact, I was skeptical of that.




No way, cerebral aneurysm ...




Well, here is a mysterious story.



I have divorced experience,

At that time, even if I took a picture at Tokyo Tower



Actually, it was a psychic photograph.

I can't show you because I've disposed of it,

My face is transparent and I can see the scenery over there.




(I wonder if I will have a head illness someday ...)




Spirit photography says that the place where you get sick disappears.


"Watch out for head illness"

At that time, my inspirational friends said so.




Some time after the cerebral aneurysm was found,

I remembered this episode.




Well, the story goes further from here.




I met a healer named Mr. Sugiyama.

This person is not a medical person,

He seems to be good at treating cancer.




I had a medical examination.




It seems that the cerebral aneurysm was formed 17 years ago.




"Are you divorced?"

"That's it!"




"There are five. The sixth is starting to be made."




I examined it with MRI and found only one.

It may be smaller than what you can find on inspection.




There are various problems in my current workplace, so

I was also convinced that the sixth was starting to be made.

However, it is also half-confident.




"It's a cure, but I don't have that power yet.

 But do you want to try it? "



"Please"

I nodded loudly.



My cerebral aneurysm

It is still small to undergo surgery, so it is in the follow-up stage once a year.

I am planning to have another MRI around January next year.

What will happen after a few years?

I'm even looking forward to medical follow-up.




So

It was a mysterious story about a cerebral aneurysm.

I will report on the progress again.








2020年11月13日金曜日

UTAIMAI

 





世界のお友だち


ご無沙汰しています。


お元気でしょうか。



寒くなって

コロナの感染者数が

このあたりでも増えてきました。



皆さんの町ではどうですか?



温かくなさって

水分を摂ってくださいね。



コロナによる生活苦もあると思いますが



「明けない夜はない」といいます。

いつか、コロナも収束していくでしょう。



みんなで、忍耐しましょうね。




私は、オリジナルの「UTAIMAI」をいたします。



手縫いの衣装に

オリジナルの舞い。



祝詞を謡いながら

舞うのです。



以前、神社で奉納したいと申し出まして

断られることがありました。



氏子さんや、神社に詣でる方の

ご迷惑になるかもしれないと



それ以来、安心して謡い舞いを奉納できる場所を探し

ひっそりと謡い舞ってまいりました。




ある時、ご縁のあるお寺で

お泊りをさせていただいたことがありました。



夫がお風呂をお借りしている間に

お部屋でこっそり

謡い舞いを奉納させていただきました。



翌朝



お寺の敷地内の小さな社から

呼ばれたような気がしてお参りしますと




「舞っていたね」




誰かが私の心に

そう、告げてくださいました。




「あ、見ていて下さったの」




そんな経験がいくつか

重なります。




京都の清水寺さま

郡山の田村神社さま




ご縁をいただいて

謡い舞いを奉納させていただきました。




あれからしばらく、

謡い舞いを報じていませんが・・・




またいつか機会があったら

謡い舞いたいと思っています。




謡い舞いは、私にとって

コミュニケーション。




見えない方々や

山々

木々

動植物との

ふれあいの場です。




謝礼や交通費をいただくことはございません。




お金を払って、ご祈祷いただいて、

謡い舞いを奉納させていただいております。

ご心配なさらず、

ご縁がございましたら、いつか、

伺いたいと思います。




World friends


long time no see.


How are you.



It's getting cold

The number of people infected with corona

It has increased around here as well.



How about in your town?



Be warm

Please drink water.



I think there are some difficulties in life due to corona,



"There is no night without dawn," he says.

Someday, the corona will also converge.



Let's be patient together.




I will do the original "UTAIMAI".



For hand-sewn costumes

The original dance.



While singing congratulatory words

It dances.



Previously, I offered to dedicate it at a shrine

I was sometimes refused.



For parishioners and those who visit shrines

It might be a nuisance



Since then, I have been looking for a place where I can dedicate a song with peace of mind.

I have been singing quietly.




At one point, at a temple with a connection

I have stayed there.



While my husband is renting a bath

Secretly in the room

We have dedicated a song dance.



next morning



From a small shrine on the temple grounds

I feel like I was called




"I was dancing"




Someone in my heart

Yes, he told me.




"Oh, you watched me."




Some such experiences

It overlaps.




Kiyomizudera in Kyoto

Tamura Shrine in Koriyama




Have a connection

We have dedicated a song dance.




For a while after that

I haven't reported the singing dance, but ...




If I have another chance

I want to sing.




The song dance is for me

communication.




Invisible people

Many mountains of

The trees

With animals and plants

It is a place of contact.




There are no rewards or transportation costs.




Pay the money, pray,

We are dedicating a singing dance.

Don't worry

If you have a connection, someday

I would like to ask.














2020年5月12日火曜日

Soil play


焼き物をしてみました。

はまっています。



手のひらサイズのお面です。

乾燥が今一つだったのか、

ひびが入ってしまいました・・・


I tried baking.

I am addicted.



It is a palm-sized mask.

Wasn't it just dry?

It has cracked ...





画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、クローズアップ

2020年4月30日木曜日

To Turkmenistan and Russian friends




この7日間、

トルクメニスタンとロシアのお友だちが

たくさん、このブログにおいでになりました。




ようこそ、皆さん。




新型コロナの状況はいかがですか?

世界のお友だちと、こうして、

共通の話題があるなんて、不思議なことですが、




一日も早く収束するよう、祈らずにはいられません。




私の町は、ここまでで感染者が7名。

指定病院には、広く感染者の入院を受け入れているそうです。




日本の緊急事態宣言では、

自粛という指示のため、

出かける人もあり、

休業すれば生活できないため、休業できない店もあり。




私は、SNSで、音楽仲間と励ましあいながら、

一日一日を過ごしています。

インターネットがあって、皆さんとこうして

つながることができ、ありがたく思っています。




大変な状況が続きますが、

いつか、安心して暮らせる日がもどることを信じて、

明るく日々を過ごしましょうね。




心で、あなたをHUGします。

どうぞ、笑顔で過ごしてくださいね!









Over the past 7 days,

many Turkmenistan and Russian friends have come to this blog.




Welcome everyone.




How is the new Corona situation?

It's

strange to have a common topic with friends around the world, but I




can't help praying for it to converge as soon as possible.




In my town, there have been 7 infected people so far.

Apparently, hospitals for infected people are widely accepted at designated hospitals.




In Japan's emergency declaration, some people go out

because of the instruction to be self-restraint , and some shops cannot be closed because they cannot live if they

are

closed.




I

spend every day on SNS, encouraging my music colleagues . I am grateful that I have the

Internet and

can connect with you in this way .




It will continue to be a difficult situation

, but

let's believe that the day when we can live with peace of mind will come back someday, and let's live bright and happy days.




HUG you with heart.

Please enjoy yourself with a smile!










2020年4月5日日曜日

Friends of the world



新型コロナウイルス感染で



死亡 60000人
回復 233000人



世界の死者6万人 イタリアは世界最悪の被害
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200404-00000554-san-hlth




感染したら

10人に2人、亡くなっています。





世界中の医療関係者は、

感染の恐怖におびえながら、

最前線で戦っています。






日本では(#アベノマスク)

各住所地に、マスクを2枚配布してくれるそうです。





うちは、とりあえずマスクがあるので、

医療関係者に送ってあげてください。







世界のお友だち






このブログを、訪れてくださってありがとう。

感染しないで、お互い乗り切りましょう。






来年また、美しい春の花を楽しみましょう。






私は、2010年に、90歳の母を誤嚥性肺炎で亡くしました。

ベッドにつきっきりで、

ちゃんと看取ることができました。







新型コロナに感染すると

10人に2人、

家族と会えないまま亡くなるのです。






慰めになるかどうかわかりませんが






日本では、亡くなる人は

家族や親しい人に、

お別れに現れるそうです。




「あ、今、亡くなった」




こう、わかるものだそうです。









私も、お世話になった方の

死期がわかりました。






その方とは、事情があって会えないままでしたが、

亡くなったことも、わかりました。





その後、夢に現れてくれて、

その当時の、「すまかなかったなあ」





という、大好きな彼の気持ちも、わかりました。





亡くなる人は、その多くが、

「すまなかったなあ」

という気持ちになるのではないでしょうか。





もし、あなたの大切な方が

感染して、会えなくなったら、




「すまなかったなあ」

という、その方の気持ちに、

慰めの言葉を、心で伝えてあげてください。





魂は、つながっています。





あなたの慰めは、大切なその方に、

必ず、伝わります。






高齢で亡くなった私の両親は、

折に触れ、夢に現れてくれます。






最近も、心配なのか、夢に来てくれました。





もし、あなたが、愛する方に会えなくても、


愛する方の夢を見なくても、


愛する方のメッセージをキャッチできなくても、





あなたの言葉と、愛情は、

大切な方に、ちゃんと伝わります。





世界のお友だち




どうか、お互い感染せずに、

無事に今年を乗り切りましょう。





たくさんの愛をこめて。

HAG!





In the new coronavirus infection



killed 60000 people
recover 233,000 people



dead 60,000 Italian world is world's worst damage
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200404-00000554-san-hlth




Once infected

two people, has died in 10 people.





Medical personnel around the world,

while frightened by fear of infection,

are fighting on the front lines.






In Japan (# Abenomasuku)

in each domicile, it seems us to distribute two of the mask.





Out, since there is for the time being mask,

please give sent to the medical personnel.







Friends of the world






this blog, Thank you for visiting.

Do not infection, let's survive each other.






Next year also, let's enjoy the beautiful spring flowers.






I, in 2010, we lost a 90-year-old mother in aspiration pneumonia.

In constant attendance to bed,

we were able to properly care for the sick.







When infected with the new corona

2 people to 10 people,

you die without meet with the family.






I do not know what happens in comfort






In Japan, people who die are

in family and close people,

yes it appears in the farewell.




"Oh, now, who died"




This is seems to be a thing that can be seen.









I also, of the person who helped me

was found dying.






If and its, but was still not able to meet if there is a situation,

died also, I understand.





Then, me appeared in a dream,

at that time, "I wish did not seeded be"





called, also his feelings of love, I understand.





The person who died is, many of them,

"I wish was sorry"

or will not become the feeling that.





If, towards your precious is

infected, when it is no longer meet,




"I wish was sorry"

that, to the feelings of the people,

the words of comfort, please give conveyed in mind.





Soul, has led.





Your comfort is, in important the person,

always, will be transmitted.






My parents who died in the elderly,

touch the fold, will appear in a dream.






Recently, or worried of, it came in a dream.





If, you, may not meet the person you love,


even without looking at the dream of those who love,


even if you can not catch the message of those who love,





and your words, love is,

for those who care, it transmitted properly .





Friends of the world




if, without each other infection,

let's safely survive the year.





And put a lot of love.

HAG!

















































2020年2月22日土曜日

KAWADUZAKURA






真っ先に咲くという河津桜。

豊岡支所に咲いていました。





初めて見ました!

得した気分です。





引越しがあり、ここの桜は間に合わないかなと

寂しく思っていたので、本当にうれしかった。




ピンクの桜。

とっても鮮やかで、キレイですね。





今日は雨。桜は、もう散ってしまうでしょうか。



Kawazu cherry tree that bloom first and foremost.

Toyooka bloomed in the branch office.





saw it for the first time!

It feels obtained was.





There is a moving, the kana not in time individual cherry

because I thought lonely, was really happy.




Pink cherry blossoms.

A very vivid, it is beautiful.





It's raining today. Or cherry blossoms, will become another scattered.
























































2020年2月17日月曜日

MASK

























学生のころから

お面つくりは好きでした。




なんども失敗しました。




今回、土で焼いたお面を土台に、

和紙で作ろうと思います。







ニホンオオカミのお面です。






謡い舞いで使用します。

楽しみです。









Since I was a student

MASK to make it loved.




Many times also failed.




This time, the foundation MASK baked in the soil,

I think that trying to make in the Japanese paper.







It is MASK of Nihon'ookami.






Used in dance sing.

I look forward to.







2020年2月13日木曜日

Centenary





1920年生まれの母。

今年、生誕百年です。



亡くなって、10年になります。

認知症を病んで40年。

遺稿となった俳句に、亡き父の油絵と、

私の人形、写真をつけて、

記念の本にしました。





非売品です(笑)




1920 born mother.

This year, is a birth one hundred years.



Died, it will be 10 years.

40 years suffered from dementia.

In Haiku became a posthumous, and the late father of oil painting,

put my doll, the photo,

was in commemoration of this.





It is not for sale (laughs)

















今日よりは

   半馬かとなる

      我が運命

    

 川の流れのように、ゆるやかに、自分らしく生きる。これが母のモットーです。右半身マヒを一か月で克服。四十年の認知症生活をほがらかに暮らし、ひそかに俳句を詠んでいました。






さかずきを干す人のむ人うたう人


 子どもが大すきな母は、季節保育所で働いていました。「メガネせんせい」と、いまもそういわれます。ユーモラスで、歌が大すきでした。

 多色刷りの版画は、訪問先で壁に下がっていた赤唐辛子を、父が描いたもの。ぬいぐるみは私の手縫いです。 






父母のひざトテ馬車の行く春の風

 弱視で小柄に生まれた母は、負けず嫌いです。鉄棒にぶら下がって体をきたえ、重たい米袋も担げるようになりました。農作業は必ず手伝いに行き、本家や実家、姉たちの役に立ちました。母の病気の度に、幼い私は、本家や伯母の嫁ぎ先にお世話になっています。お寺に行く道のり、母のせなかで揺れる自転車。重いスイカをはこんで、バス停から歩いた炎天下。母の青い花柄のワンピース。油絵は、ふるさとを描いた父の作品です







花の枝のゆらぎて人をまねくごと


 実家の庭は、出先でいただいた切り花の挿し木で、花だらけでした。雑草に紛れて、ふきのとうやニラ、いちごもありました。つるバラは、父が車庫入れで壁をこするのを阻止するため、家に沿ってしげっています。あじさいは挿し木で増えていきました。春にはライラックが咲いて、気高い香りを放ちます。母の読書熱と、花好きは、私も受け継いだようです。







巨ざくら空に向かいて登るごと


 グループホームから戻った母。妄想や昼夜逆転が一気に収まったのは、脳梗塞で右半身マヒになったためです。「自分でおトイレに行ける」こう言い放つと、母は、もうそのことに集中していきます。日中独居。転んでそのまま、誰かがくるまで、楽な姿勢をとることも自分ではできません。そこから1か月で、ろれつもよくなり、杖で歩けるようになるのです。ヘルパーさんも主治医も、みんな驚かされました。マヒ発症当日から動いたことで、筋力の低下が起きなかったのです。






田は青田犬はねそべりながれぐ

 犬が好きだった母。代々、とてもお利口でした。「おにいちゃんはどこ?」ゆっくりくり返すと、我が家の犬は理解したらしく、「ついてきて」と言わんばかりにかけ出します。その先に、ローラースケートで遊ぶ兄がいました










父の手の

   たしかさ見上ぐ

          初夏の空


 ピアノが弾ける子は、同級生で1人だけ。「買って!」とせがむ私に、父は「うるさいからいやだ!」と答えます。詳細は語りませんでしたが、父の生家は、兄弟姉妹でピアノを弾く家風。両親とも、兄弟が多い世代。それぞれの子ども時代、ほほえましい騒ぎが、目に浮かびます。









あじさいの

   みだれ咲き見る日は楽し


 写真は、オリーブ香る小豆島。「バスが来る前に、早く早く!」と親友にのせられて、すてきなステージでオカリナ奏上。もっと、母と旅行していればよかったと、今になって思います。

 母は四十一歳の高齢出産だったため、私は五十歳になる前に介護ができました。母のためだけにあったような指定訪問介護事業所は、母の死後、たたみました。特別な介護ができたことを、お世話になった皆さんに感謝です。








若き等が集う色香や夏祭り


 油絵は父の作です。左手中央の小学校は、311の被災後解体されました。山々は、早朝には雲海を抱き、夕べには地面から水蒸気が湧き上がります。恵み多き暮らしを、父母は過ごしてきました。きのこ、あけび、山の幸。神秘的で、自然豊かな里です。







頭が重い

    たんぼの草も腰をまげ

 農家生まれの母には、本を抱えてもぐりこむ隠れ場所がありました。姉たちがいくら探しても見つからず、なんど呼んでも出て来ません。幼い子に甘い父上が、ある日「これはぜんぶやすこが食え」と、米袋いっぱいのあけびをくれたそうです。翌朝、あけびはすっかり皮だけになっていました








コスモスを

    連れきて部屋を

         なごませり


 弱視で生まれた母は、歌番組が大好きです。白内障で、画面に張り付くようにテレビに見入り、なめるように本を読みます。うすぐらい部屋でじっと動かないでいると、私がいないと思った母は、ケアマネさんにぐちを言い始めます。タンスを開け閉めし始めた私に、「たかこかい? いたのかい」と苦笑い。「ナイスです」母の視力を理解したケアマネさんと、大笑い。







一点を

  見つめしあとの

      大あくび


 ぜんそくもちの父は、胆石で元旦に手術を受けました。発作で手術が中断、開腹したままの父を、立ち会った母が「(前半略)メスの餌となりぬ」と、俳句に詠みます。穏やかでやさしい父と、ユーモラスな母でした。






越しかたも

  行くてもはるか

     岐路に立つ


「また今度も、生まれかわって、

         親子でこようね」

 その時、まっすぐになっていた母の心電図が、ぴょこんと一瞬、跳ね上がります。葬儀後の仕事復帰、「また、あなたがいい」とくり返す利用者さん。それこそ母から、私への答えだったと、今も信じています。













Than today

   The Han'umaka

      My destiny

    

 Like the river, gently, live Rashiku yourself. This is the motto of the mother. Overcome in one month on the right side of the body paralyzed. Living dementia life of forty years cheerful, was not secretly poem haiku.









No people sing people of people hanging out the goblet


 Children large favorite mother was working in seasonal nursery. And "glasses teacher", also said so now. Humorous, song was a big favorite.

 Multicolor prints, the red pepper that has been dropped to the wall in the visited, what father drew. Stuffed toy is my hand-sewn. 












Spring wind going the parents of knee Tote horse-drawn carriages

 Petite born mother in amblyopia is sore loser. Disciplined the body hanging on the horizontal bar, now Katsugeru also heavy rice bag. Farm work is always going to help, head family and home, was helpful of sisters. Every time the mother of the sick, young I am indebted to Totsugi destination of the head family and aunt. Way to go to the temple, bicycle swaying in the mother's back. Carrying a heavy watermelon, I walked from the bus stop under the scorching sun. One Piece of the mother blue floral pattern. Oil painting is the work of my father drew the hometown










Each time the lead to In humans fluctuation of branches of flowers


 Home garden, with cuttings of cut flowers, which I received on the go, it was full of flowers. Under cover of the weeds, there was Fukinoto and leek, even strawberries. Vine roses, because the father is prevented from scraping the wall in the garage, it has lush along the house. Hydrangea went more and more in the cuttings. In the spring blooming lilac, it emits a noble aroma. And reading heat of the mother, it is like flowers, it seems I also inherited.










Each time the climb toward the giant Zakurasora


 Mother returned from the group home. The delusion and day and night reversal has subsided at once, because that was the right side of the body paralyzed by cerebral infarction. When the "go to your toilet on their own," said avow, mother, will continue to concentrate on the other that. Day in solitary. It fell by as it is, until someone comes, you can not by yourself to take a comfortable position. From there 1 in a month, Roretsu even better, it is able to walk with a cane. Helper's also the attending physician also, everyone was surprised. By moved from paralysis onset of the day, I decline of muscle strength did not occur.










Field is dog Qingtian Nesoberi Nagaregu also

 Dog liked mother. For generations, it was very clever you. "Where is your brother?" And slowly chestnut return, home of the dog seemed to understand and out over a period of as much as to say the "been with". In the first, there was a brother to play with roller skating










Father's hand

   Certainly Is the Miagu

          Early summer sky


 Children play the piano is a classmate 1 only person. Me to pester the "buy!", My father answered, "I do not want because noisy!". For more information, but did not speak, birthplace of the father, play the piano at the brothers and sisters family tradition. Both parents, brothers many generations. Each of childhood, is heartwarming commotion, it floats to the eye.










Of hydrangea

   Disordered see bloom day fun


 Photos, olive smell Shodoshima. "Before the bus is coming, sooner early!" Is put on the best friend and, ocarina Sojo in a nice stage. More, that it was good if you are traveling with the mother, I think so now.

 Because mother was advanced maternal age forty-one year old, I could care before the fifty-year-old. Specify visit long-term care establishments, such as it was only for the mother, after the death of the mother, was folding. That was able to special care, thanks to everyone who helped me.









Charm and summer festival young, etc. gather


 Oil painting is the father of the work. The left center of the elementary school, was dismantled after the disaster of 311. Mountains, early in the morning to embrace the sea of ​​clouds, water vapor goes up springing from the ground in the evening. Grace Oki life, parents have spent. Mushrooms, Akebi, riches of the soil. Mysterious, natural rich village.










Heavy head

    Grass of rice fields also bend the hip

 The mother of the farmer was born, there was a hiding place that slips suffer from this. Sisters is not found even looking for much, it does not come out be referred to many times. Sweet father to the young child, and one day "This is good to eat is everything Yasuko", it seems to have me a rice bag full of Akebi. The next morning, Akebi had completely made only in the skin











The cosmos

    And it has brought the room

         Nagomaseri


 Mother was born in amblyopia, love song program. In cataract, Miiri to television as sticks to the screen, read the book as licking. If that do not work patiently in a dim room, mother, I thought I must not have, you began to say bitches to Keamane's. To me began to open and close a chest of drawers, wry smile as "Takako Kai? Kai's had." "It's nice" and Keamane, who understand the mother of vision, a good laugh.











One point

  Staring Shi after

      Large yawn


 Father of asthma has has undergone surgery on New Year's Day with gallstones. Surgery seizures interruption, the father of the remains laparotomy, witnessed the mother is the "unexpected become the food of the (first half shown) female" and reading haiku. And father-friendly and calm, it was a humorous mother.








Also come the way

  Haruka even go

     At the Crossroads


"And even now, on behalf of birth,

         I guess child stranded in parent and child. "

 At that time, the electrocardiogram of the mother, which has been straightened is, Pyokonto moment, jumps. Returned to work after the funeral, "also, you say" user's repeating with. From That's mother, it was the answer to me, you believe even now.