「お母さんは認知症なの。
ちいさな脳梗塞の跡がたくさん見つかったの。
脳の委縮もあった。盗まれていたのではないの。
妄想という症状なのよ」
投げつけた言葉は、老いて弱くなった母にぶつけた、いたましい現実。
若いころ季節保育所で保母をしていた母は、若い人と話をするのが大好き。
デイサービスでは普通の会話に作話(事実と異なる話。
認知症の周辺症状)がまじり、利用者ばかりか専門職をも混乱させ利用を断念。
ひとりで過ごすことが多くさびしそうな母。
そんなとき、ヘルパー実習生の同行訪問打診。
「それはいい! どんどんお願いします」
こうして思いがけず、若い人との会話が実現。
どの実習生も熱心に母の昔話に聞き入り、
関心を示し、たびたびうなずき、求めに応じて歌わされます 。
ひとを驚かせたり笑わせたりすることが巧みな母の人柄は、
高齢になっても、病んでも、ひとつも衰えませんでした。
その一方、認知症の中核症状である深刻な物忘れや、
理解力、判断力の低下による介護の拒否など、問題は起こります。
あるとき、入浴介助のヘルパーが洗濯機の中に真っ黒な泥水を発見。
脱いだ衣類を洗濯しないまま、またタンスにしまっていたのです。
うっかりしていた!
あわてて片っ端から洗濯機にほおり込むと、母の衣類はどれもこれも泥水で泳ぎます。
「何回水を変えてもだめです」
もう開いた口が閉まらない。
洗濯されると知って、頑固な拒否がはじまりました。
「むすめさんから話していただかないと」
信頼関係が壊れてしまうと、ヘルパーはもう仕事をさせてもらえません。
ええい、親子喧嘩などうやむやにしてしまえ。
こう覚悟を決め、居室に押し入りました。
そこから母とわたしの押し問答が始まります。
「洗濯すると生地がそじる(いたむ)から洗わないの!」
何度説明を受けても修正できない思い込み。認知症の症状です。
「不潔な服は病気の原因! 洗います!」
衣類を奪い、洗濯機に放り込む。
干すのは母の仕事で、安全にできるよう、
居室につづく日当たりのいい廊下に物干し場を用意しました。
ちいさな座布団に正座して衣服を広げ、ていねいにしわを伸ばす母。
壁や障子につかまってゆっくり立ちあがり、かごから一枚拾ってハンガーに下げる。
朝の八時に届けた洗濯物。
干し終えるのに午前中かかっています。
夕方には自ら洗濯物を回収し、たたんでタンスにしまっていました。
「もう、あきらめた!」
洗濯の拒否から黙認へ。
ようやく母がこう言ったのは、なんと、数年後のことです。
困ったのは使用後の紙パンツ。
すこしついているけれどまだ使えるとタンスにしまい、
使い切って重くなれば、乾燥させようと物干しに下げ、電気ごたつの中に並べるのです。
「もったいない」
「そうですか。
でもほら、むすめさんがせっかく買ってくださいましたし、
きれいな新しいものを当てましょうね」
ヘルパーさんも厳しく言わず、居室にいない間にわたしが捜索しては撤去。
右半身まひになったのは84歳の夏。
夜中になにか聞こえるので、不審に思い様子を見に行くと、床に母が倒れていました。
抱き起すとろれつのまわらぬ口で、
「おほいえいいひはい」
と言うではないか。
トイレに起きて転んだのかな。
まさかこれが脳梗塞とは思いもよらず、抱いてトイレに座らせました。
翌日はお盆で墓参りを予定。
中止しようかと尋ねると「いひはい」と母は意欲を見せました。
これが最後になるかもしれないと、お互いに胸の中でそう思っていました。
自家用車に乗せて、お墓と本家と母の実家をまわります。
箸をとりおとし、食べものや飲み物がくちびるの右側からこぼれていきました。
「おほいえいいひはい(行きたい)」
帰宅して母をトイレに連れて行きます。
明日からわたしはまた昼夜働くから、ほとんどの時間、母ひとりになるのです。
「わたしがいないときは、おむつにしてもいいよ」
「いうんええきう(自分でできる)」
母はまわらぬ口でそう言い張ります。
ああもう。ま、やってみてできなかったらまた考えようかな。
めんどうになって見まわすと、玄関に使っていない車いす。
「ここに座って、これがブレーキ。向きをかえるときはタイヤをこう動かして」
実際に動かしてもらうと、リビングとホールの段差を超えられないことがわかりました。
「前のタイヤを浮かせれば、後ろのタイヤはついてくるからね」
トイレはせまく、車いすが入らない。
ドアの向きも悪く、ドアのすぐ前に停めることができない。
「ひとりでできる?」
「えきう」
まひがあっても頑固者。
おしっこの世話を受けるようになったら終わりだと、
何年かたって母はそう言って笑いました。
"My mother's dementia.
The trace of the small cerebral infarction was found a lot.
Atrophy of the brain was also. It is not had been stolen.
Are symptoms of delusion "
Threw the words, was hit in the mother weakened by old age, tragic reality.
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Peripheral symptoms of dementia) is Gray, abandon the use also confuse the just or professional user.
Many lonely mother to spend alone.
At that time, I accompanied the visit approached helper apprentice.
"It is good! You give me more and more."
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"Filthy clothes cause of the disease! Wash!"
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"Wasteful"
"Is that so.
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"Ohoiei Ii Yes"
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"(I want to go) Ohoiei Ii Yes"
Go home to you took the mother to the toilet.
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"When I do not have, it is good to the diaper"
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Toilet is narrow, wheelchair does not turn on.
The orientation of the door or worse, it is impossible to stop just before the door.
"I can be alone?"
"Ekiu"
Bigot even if there is paralysis.
When's the end When you are ready to receive the care of pee,
I many years person mother laughed and said so.
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発見が早く、当日から生活リハビリを始めたことが、
母の人生を取り戻すことになります。
高熱を発し、点滴を受けに通院したものの、
在宅1か月で、まひはすっかり治ってしまったのです。
6年後。
90歳になる年の初夏、左右から介助され、
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わたしが子どもの頃、アルツハイマーという病気はまだ知られていませんでした。
どこかの要人がカミングアウトしたときも、
まさか母がその症状を呈しているとは思いもよらなかったのです。
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「お風呂をのぞかれて、写真を撮られる。それをみんなが見て笑っている」
風呂場の窓にはガムテープが張り巡らされ、やがて温泉を毎日利用するようになります。
口を開けば被害妄想ばかりの母を、中高生の時分からなだめつづけます。
父と死に別れ、兄夫婦とうまくいかずグループホームに。
どうにか面会でき、親戚を巻き込んだ大騒ぎのすえ、ようやく自宅に迎えるのです。
「お母さんが来る。うれしいな」
ワクワクして待ち受ける自分に気づき、愕然としました。
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When I was a child, disease called Alzheimer's was not yet known.
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50s mother of delusion appeared, I still elementary school.
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"Mom is coming. I'm glad I"
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美空ひばりさんの唄に「川の流れのように」があります。
死んでしまいたいと思い悩んだ時期、母はよく川の流れを見つめたそう。
「人生山あり谷あり。川の流れのように、生きて行こうね」
唐突にわたしの手を取りこう言ったとき90歳、認知症歴40年。
この場面だけを見れば、むすめを愛するやさしい母親ですが、
葛藤を抱えたわたしはただ驚愕し、とまどい、言葉を失っていました。
「Aさんがわたしを追い出そうとしている。
うちに上がり込んで、ものを盗っていく。」
しまった場所を忘れ、何か見つからないものがあると、
特定の人を標的にするのは被害妄想の特徴です。
息子の嫁や実の娘など、
標的になるのは、本人が信頼し頼っている相手であることが多いのです。
自己防衛機能と思います。
「たかちゃんだから言うけれど、おかあさんはどうしてあんなことを言い続けたのかね」
長い間泥棒と言いふらされたAさんは、
おとなになったわたしの手をつかみ、ポロポロと大粒の涙をこぼしました。
自宅を離れ、Aさんと会わなくなってからも、
あれを盗まれた、これを盗まれたと母は言いたてます。
老い先短い母に、あえて現実を突きつける必要があるだろうか?
けれどもわたしは冒頭の言葉を口にしてしまうのです。
「認知症で、妄想という症状だったの」
言い返そうと口を開き、閉じてまた開き、ふっと向きをかえて母はうつむきます。
50代でアルツハイマーと脳血管性認知症を発症した母は、
ほがらかな長寿を全うし天に帰ります。
寝たきりになることもなく、意思疎通困難に陥ることもありませんでした。
寝込んだのは、脳の重要な動脈であるウイリス動脈輪で発症した脳梗塞と、
これに伴う誤嚥性肺炎で意識不明になった最期の一週間だけ。
倒れる当日まで自分で食事を摂り、
普段は使用したお茶碗も台所に運び、
目が悪くよく見えないなりになんとか自分で洗っていました。
「今日からは半馬かとなるわが運命」
遺稿にこの句を見いだした時、
ああ、母は認知症をあるがままに受け止めたのだと思いました。
穏やかな死に顔は、病の仮面を脱ぎ捨てたように知恵深く、
年老いた賢者のように見えました。
ああそうか、この方はわたしの師匠だったのか。
40年に及ぶ認知症はまさに濁流。
泥水にもまれるように認知症を学び、資格をいくつか取得し、
家族として介護経験を重ねます。
どんなにきびしい局面でも、母のように自然体でほがらかにすごそう。
険しい谷川も、ゆるやかな深い淵も、行くべきところまでいつか流れてゆく。
焼き場で告別のオカリナを奏でながら、わたしは心にそっとかみしめました。
To Misora Hibari's song there is "like a river flow."
Time that Omoinayan and I want to be dead, likely was staring at the flow of the mother is well river.
"There is life ups and downs. Like a river flow, I going to live."
Suddenly 90 years old when he said, taking my hand, dementia history of 40 years.
If you look at this scene only, but friendly mother who loves her daughter,
I just shocked that suffer from the conflict, had lost confusion, the words.
"Mr. A is trying to expel me.
In Agarikon within, we take things. "
Forget the closed locations, and there are things you can not find something,
It is a feature of paranoia to the particular person to target.
Such as the son of the daughter-in-law and the real daughter,
Become a target, it is often a partner himself relies trust.
I think that self-defense capability.
"But I say because Taka-chan, mom guess why kept saying to do that."
Mr. A was Ifurasa for a long time thief,
Grab my hand became an adult, I spilled tears of flake and large.
Away from home, even from no longer meet with the A's,
Stolen it, and the mother is alleged was stolen this.
Oisaki to short mother, dare I wonder there is a need to pose a reality?
But I do ends up in the mouth the words at the beginning.
"In dementia, it was a symptom of delusion"
Open the will and mouth Ikaeso, closed or open, the mother will face down to whiff change the direction.
Mother who developed Alzheimer's and vascular dementia in the 50s,
To fulfill a cheerful longevity will return to heaven.
That without that become bedridden, it did not sometimes fall into mutual understanding difficult.
The I laid up it is, and brain infarction that developed in Willis arterial circle is an important artery in the brain,
Only one week of last moment became unconscious in aspiration pneumonia due to this.
Take a meal on their own until the day you fall,
Bowl used was usually also carry in the kitchen,
Eyes was washing somehow yourself in Nari not look good bad.
"My destiny to be a Han'umaka from today."
When I found this phrase in manuscripts,
Oh, my mother thought that he was caught as it is a dementia.
Gentle face of a person who has died is, deep wisdom to take off the mask of the disease,
It looked like old sage.
Oh I see, whether this person was my mentor.
Dementia is just a muddy stream that spans 40 years.
Learn dementia as tossed in muddy water, to get some of the qualifications,
Align the care experience as a family.
No matter how severe aspect, Spend cheerful in the natural posture as mother.
Also steep Tanigawa, gentle deep abyss also, Yuku flow someday to be the place to go.
While playing the valedictory of ocarina in Yakiba, I was gently biting in mind.
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